トーク:マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス

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出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
トーク:大カトーから転送)

思ったこと。

マルクス・ポルキウス・カトーの名前は本文にあるように大カトー、小カトー双方の名前。それだけではなく大カトーの父親もマルクス。大カトーの息子もマルクスだったと思う。

紛らわしいから大カトーにしたほうがいいのでは。Tanuki Z 2004年11月7日 (日) 13:44 (UTC)[返信]

初めまして、Tanuki Zさん。ご指摘の件ですが、もう少し、本文をお読みになって頂けませんか?
>後に頭角を現した一門のマルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス(小カトーと区別するために「大カトー」と呼ばれている。
以上の本文で十分なのではないでしょうか。
また、カトー一門に詳しい御様子ですが、一般人は大カトーと小カトーしか知らないと思いますので大丈夫かと思います。--Amigomr 2004年11月8日 (月) 07:32 (UTC)[返信]
基本的に Tanuki Z さんに賛成です。名前の付け方として複数あるものを単独でたてるのは望ましくありません。また正式名でつけるのが基本とはいえ、もっともよく使われる・本人を一意に決定できる呼称があるのにあえて別のまぎらわしい表記をつかうメリットはありません。私は大カトーへの移動に賛成です。--Aphaea 2004年11月8日 (月) 11:41 (UTC)[返信]
では、大カトーへの移動も良かれと思いますがリダイレクトで何とかならないでしょうか?
それかですが、曖昧さ回避のページを設けるとか。でも、他の「カトー」さんは格言残してないですよね。どうなんでしょう。--Amigomr 2004年11月9日 (火) 08:11 (UTC)[返信]
ウィキクォートではおそらく内部リンクをそんなに貼らず索引やカテゴリで引くと思いますから一意の名前があるのならばそれを使ったほうがよいのではないかなと思います。また同じ考えからあいまいさ回避に関しては必要性は薄いのではないかと個人的には思います。これ以上介入するつもりもないので強くは主張しませんが。
リダイレクトに関しては普通「マルクス・ポルキウス・カトー」という名前を知っている人間は「大カトー」の名前も知っているはずですので不要ではないかと思います。むしろリダイレクトを作るというのなら「カトー」の方がよいのではと思います。
他のカトーについては確かにウィキペディアではありませんからいちいち触れる必要はないかもしれません。ただウティカのカトーに関しては格言を残していないとはいえないと思います。Tanuki Z 2004年11月10日 (水) 03:37 (UTC)[返信]