暁烏敏

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暁烏敏 (1877 - 1954)[編集]

日本の僧侶。明治から昭和にかけて活躍した、浄土真宗の説教師。

『わが歎異鈔』[編集]

  • 仮のものにとらわれておるのが我です。うわつらを張っておるんです。頑張っておるんです。強がっておるんです。『地獄は一定すみかぞかし』と、すなおに自分の目星の分った人は、鬼はわしが作っておるんだ、この邪見驕慢の心から地獄がうまれておるんだ。これによって自ら苦しんでおるんじゃ、とほんとうに自分のあさましさが自覚出来るのです。そこには、もはや悩みはないのです。
  • さあ俺が行くのだぞ。今まではあの仏が見えないで、わしは駄目だと思うておったが、その駄目だと思うておったわしの方がほんとうに行けるのだ。善だの悪だのと拘っておったが、もう善だの悪だのというておれぬ。わしの方が仏の正客なのだ。善だの悪だのを見ずに、仏さんの心に向こうて行かなければならぬ。そこに念仏の信が生まれて来る。悪人正機というのがそこです。悪人正機ということが念仏往生というものの生まれて来る根本の味わいになるのであります。

『広大会』(雑誌)[編集]

  • 私は二十歳の頃から三十五歳の頃迄、歎異鈔の導きをうけました。三十五歳から五十歳迄、無量寿経の導きをうけました。五十歳から六十二三歳の頃迄聖徳太子を通して日本書紀と古事記の導きをうけました。六十三歳の頃戦争が始まり、戦争が終って本年七十五歳になる迄、ひたすら念仏の一道に育てられてきました