野村克也
出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
野村克也(のむら かつや、1935年6月29日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者。
現役時代は1954年~1980年の27年にわたり、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーした。
引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス野球部、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。京丹後市名誉市民。2010年からはサンケイスポーツ野球評論家。
[編集] 語録
- 王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草
- 1975年の日本ハム戦(後楽園球場)での600号達成時の談話で。同時期にセ・リーグで活躍していた大人気の巨人の長嶋茂雄や王貞治に比べると、パ・リーグ・南海・野村は世間から注目されることは少なった。600号自体は前年に王が達成しており、野村の600号の注目度が上がらないことは野村も自覚しており、なんとかマスコミに1面トップで扱ってもらうには、なにか良い談話を発表しなければ無理だと思い、1ヶ月前から談話を考えていた。また600号達成時には当時の野村としては珍しくベースランニング中にジャンプして喜びを表現していた。
- この言葉は、野村現役時代の代表的発言となり、以後、「月見草」が野村の代名詞となった。しかし実際には何かと目立ちたがりな野村を月見草と呼ぶには疑問がある。
- なお、野村と両人は親交があり、3人で旅行へ行ったこともあるという。
- 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
- この言葉は野村の創作ではなく、松浦静山の剣術書『剣談』からの引用である。「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある」という意味。試合に勝つためには、負ける要素が何だったか、どうしたらその要素を消せるかを考えて行く必要がある。また、もし勝ち試合であっても、その中には負けに繋がることを犯している可能性があり、その場合はたとえ試合に勝ったからと言って、その犯したことを看過してはならない。
- 先入観は罪、偏見は悪
- 初めの勝ちは、嘘の勝ち
- 1992年、森祇晶監督率いる西武との日本シリーズ第1戦勝利後のインタビューで。野村は短期決戦では初戦を重視しており、1973年の阪急とのプレーオフ、監督として出場した5回の日本シリーズはいずれも初戦に勝利している。一方の森は当時から第2戦に重きをおいた発言をしており(この年の日本シリーズでも、シーズンの成績が良かった郭泰源や石井丈裕ではなく、渡辺久信を第1戦の先発としている)、この発言は森の第2戦重視主義を意識した発言といえよう。
- なお、野村は森と親交があり、監督としての立場を離れれば、野村が「一晩中、彼と野球の話をしてますよ」と言うぐらいの仲である。巨人V9時代には日本シリーズ対策として、森がパ・リーグ選手の情報を聞きに野村の家をよく訪問しており、その親密ぶりは「野村の家には、森の歯ブラシがある」と称されるほどだった。
- 戦いに勝つは易し、勝ちを守るは難し
- 1993年、セ・リーグ優勝を決めた直後、神宮球場での監督インタビュー締めの言葉。この年は名言格言・故事成句などを引用したコメントが多い。
- 人生の最大の敵、それは「鈍感」である
- ヤクルト監督時代に時折発していた言葉。
- これが楽天野球です。安打多くして得点少なし
- 2008年4月30日、オリックス戦終了後のコメント。
- 強いチームは接戦で勝ち、負ける時はボロ負け。弱いチームはボロ勝ちし、接戦で負ける。