大来皇女

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大来皇女おおくのみこ、661年-702年)は天武天皇皇女、大津皇子は同母弟。伊勢斎王。

大来皇女からの引用[編集]

  • わが背子を大和に遣るとさ夜深けて暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
    吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之--『万葉集』巻2-161
  • 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り越ゆらむ
    二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武--『万葉集』巻2-162
  • 神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに
    神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓--『万葉集』巻2-163
  • 見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくになにしか来けむ馬疲るるに
    欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓--『万葉集』巻2-164
  • うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とわが見む
    宇都曾見乃 人尓有吾哉 從明日者 二上山乎 弟世登吾將見--『万葉集』巻2-165
  • 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといわなくに
    礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓--『万葉集』巻2-166

大来皇女に関する引用[編集]

  • 大来皇女 最初斎宮 以神亀二年 奉為浄原天皇 建立昌福寺[字夏身 本在/伊賀国名張郡] --『薬師寺縁起』
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