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*:沈んだ「いろは丸」の賠償金を紀州藩に支払わせるため、龍馬が作り、長崎の丸山で流行させた歌。
*:沈んだ「いろは丸」の賠償金を紀州藩に支払わせるため、龍馬が作り、長崎の丸山で流行させた歌。
*人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。
*人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。
*丸くとも一かどあれや人心あまりまろきは ころびやすきぞ
*:坂本龍馬詠草(和歌)



[[category:日本人|さ さかもとりようま]]
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2010年2月22日 (月) 13:19時点における版

坂本龍馬 (1835年 - 1867年)

さかもと りょうま。江戸時代末期の志士。

  • 世に活物たるもの皆衆生なれば、いづれを上下とも定めがたし。いま世の活物にては、ただ我をもって最上とすべし。
    『軍中龍馬奔走録』より
  • 世の人は われをなんとも いはばいへ わがなすことは われのみぞしる
  • 日本を洗濯いたし候
  • 船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る。
    沈んだ「いろは丸」の賠償金を紀州藩に支払わせるため、龍馬が作り、長崎の丸山で流行させた歌。
  • 人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。
  • 丸くとも一かどあれや人心あまりまろきは ころびやすきぞ
    坂本龍馬詠草(和歌)