「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の版間の差分
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2014年4月11日 (金) 20:55時点における版
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年 - 1951年)は、オーストリア出身で、生涯のうち長い期間をイギリスで過ごした、哲学者である。
Notebooks 1914-1916
- 人はしばしば、しるしをつけたあとで、それが「どのように」真であるのかを見い出す。(1914)
- 論理はそれ自体を参照する。つまり、私たちがしなければならないことの全ては、それ(論理)を観察して、それがどのように振る舞うかを見ることである。(1914)
- 部分的な問題にとらわれるな。しかし、あの総体的な「一つの」偉大な問題に対する自由な視界がある場所に、いつも飛翔していなさい。たとえ、その視界が未だにぼやけたものだとしても。(1914)
- 私の困難はただひとつ、表現することの非常な困難である。(1915)
- 私は、自然状態の命題からは、独立した論理的な操作を得ることが「できない」! (1915)
- 哲学者にとっての主要な諸能力のひとつは、自分自身と関係ない問題に占領されないことである。(1915)
- 言語は、私たちの器官の一部分であり、それよりも複雑なものはない。(1915)
- 次のように言うことは確実に妥当である。すなわち、善悪を識別する精神は神の声である。(1915)
- 神と、人生の目的とについて、私は何を知りうるか?
私は、この世界が存在することを知っている。
[……]
人生の目的、さらに言えば、世界の意味を、私たちは神と呼ぶことができる。
[……]
祈ることは、生の意味について考えることである。(1916) - 何らかの神を信じることが意味するのは、生の意味についての問いを理解することである。
何らかの神を信じることが意味するのは、世界の諸事実は物の終わりではないということを見ることである。
神を信じることが意味するのは、生には意味があるということを見ることである。(1916) - 時間の中に生きる人ではなく、現在を生きる人だけが、幸福である。(1916)
- 世界というものと、生とは、一つである。[……]生と、世界というものとは、一つである。
[……]
倫理学と、美学とは、一つである。(1916) - 次に記すのは真である。すなわち、人は小宇宙である。
すなわち、私は、私の世界である。(1916) - 想像され得ない物事は、それについて話されることさえ不可能である。(1916)
- 自明なのは、気軽な関係というものは、何らかの関係では絶対にない、ということである。(1916)