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小林 一茶(こばやし いっさ)は、江戸時代の俳人。 |
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*何のその百万石も笹の露(中村六郎の作といわれている) |
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2015年6月21日 (日) 09:40時点における版
小林一茶 (1763年 - 1827年)
小林 一茶(こばやし いっさ)は、江戸時代の俳人。
『七番日記』
- 大蛍ゆらりゆらりと通りけり
- うつくしや障子の穴の天の川
- 名月を取てくれろとなく子かな
- 有明や浅間の霧が膳を這ふ
- 涼風の曲がりくねつて来たりけり
- 春雨や食はれ残りの鴨が鳴く
- 故郷やよるもさはるも茨の花
- 亡き母や海見るたびに見るたびに
- 痩蛙(やせがえる)まけるな一茶これにあり
- 雪とけて村いっぱいの子供かな
- 古郷やよるもさはるも茨(ばら)の花
『八番日記』
『文化句帖』
『文政句帖』
- 淋しさに飯をくふなり秋の風
『句稿消息』
- 是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺
『おらが春』
- 椋鳥と人に呼ばるる寒さかな
- 露の世は露の世ながらさりながら
- ともかくもあなた任せのとしの暮
- 蚤のあと数へながら添乳かな
- 這へ笑へ二つになるぞけさからは
- 故郷は蠅まで人を刺しにけり
- 目出度さもちう位なりおらが春
- 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
- 我と来て遊べや親のない雀
- 蟻の道雲の峰よりつづきけん
- 悠然として山を見る蛙(かわず)かな
その他
- 梅が香やどなたが来ても欠茶碗
- 信濃では月と仏とおらがそば (小林一茶の句とされているが柏原宿の本陣・問屋に生まれ「七番日記」を公刊し一茶同好会主として一茶の顕彰につとめた中村六郎の作との説が有力。一茶の「そば時や月の信濃の善光寺」と「おらが春」をもじった後世の偽作らしい)
- 親は死ね子は死ねあとで孫は死ね(中村六郎の作といわれている)
- 何のその百万石も笹の露(中村六郎の作といわれている)