藤田田
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藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。輸入雑貨販売店「藤田商店」、「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」、「日本ブロックバスター」創業者。
語録
[編集]- 母親がキリスト教徒だったことから、「口」に「十字架」で、よい言葉を語るように、という意味で「田」という名前になったとされている。本人はクリスチャンではなく、「銀座のユダヤ人」を自称した。
- 1968年、藤田はアメリカンオイル(著書[要文献特定詳細情報]では「ユダヤ人の会社」と表現されている)から、ナイフとフォーク300万本の注文を受注する。藤田は岐阜県関市の業者にナイフとフォークの製造を発注したが、田植えの時期と重なったこともあり、期限内に商品が完成されなかった。そのため、当初予定していた船舶での輸送では、期限内にアメリカに納品できない事態に陥る。飛行機をチャーターすればなんとか納期が守れるが、ナイフとフォーク300万本の代金ではとても採算が合わない。しかし意地でも納期を守りたかった藤田は、当時の金額で3万ドル、日本円で1,000万円の費用をかけてボーイング707をチャーターし、納期内に納品した。これが功を奏し、翌年、今度はアメリカンオイルからナイフとフォーク600万本の注文を受注する。ところが前年同様日本国内での生産が間に合わず、再び飛行機をチャーターすることになる。二度に渡る飛行機のチャーターで藤田は大損したが、このことにより買えるはずのないユダヤ人の信用を得た。「あいつは約束を守る日本人だ」という情報が、世界中のユダヤ人に伝わったという。
- ベストセラーになった。「78:22の法則」「ユダヤ教徒になれ」「金持ちから流行らせろ」などの主張を盛り込んだ。また、日本語の研究と金儲け(株)が趣味で、日本マクドナルドを創業する際も、「McDonald's」を、英語の発音に忠実なカナ表記である『マク-ダーナルズ、または、マク-ダーヌルズ』とせずにアメリカ本社の反対を押し切り「日本語的に馴染みやすい3・3の韻になるよう」に『マクド-ナルド』とするなど、本業にもその成果を反映させた。
- 電車内では気軽に隣席の乗客に声をかける、タクシーに乗ったら必ずドライバーと会話をするなど、情報収集と人に溶け込む能力を、常日頃から磨くよう心がけていた。
- 高校生であった孫正義の訪問を受け、コンピューター関連を学ぶように助言した。後に成功した孫に食事に招待され、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという。
- 「一日24時間。成功はいかなる人にも平等に与えられた、この24時間にどれだけ努力するかにかかっている。人間の頭の中身など、もともと大差などない。最後はいつも本人の「努力×時間」。」
- 「最悪のあとには必ず最善がある。いかなる苦境にも屈しない強さを身につけていれば、おのずと道は開ける。人生は希望を6割達成できればまあまあいい。7割いけば上出来、8割できれば感謝すべきである」
- 「凡眼には見えず、心眼を開け。好機は常に眼前にあり。」