道の光
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道の光(みちのひかり)は、出口王仁三郎の著書。明治36-38年(1903-1905年)に執筆され。
道の光
[編集]玉の礎
[編集]- 心に姦淫したる者は肉体にて姦淫したると其罪決して異ることなし。早く改めざれば、高天原に到ること能はざるのみならず、根底の国に落さるる也。
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- 人に見られむが為に善を為すことなかれ。貧民に衣類食物を施すに当りても、其事実が世に拡がりなば、そは既に世界より酬いられたるなり。故に真の報酬を神より受くること能はざるなり。隠れたる徳は神之を酬い給ひ、現れたる徳は、人之を酬ゆるものなり。
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- 二個の眼を失ひたる人は、この世の光明を見ること能はず。心の眼を失ひたる者は、その暗きこと一しほなるべし。心の眼なき者は、神に見ゆる事能はざるべし。高天原を見る事能はざるべし。
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- 東の君主に仕へ、同時に西の君主に仕へ難きと同じく、人若し財宝に仕へんとする時は、同時に神に仕ふること能はざるべし。金銭を使ひて国の為め道の為めに尽すは良し。金銭に使はるるものは、神の光を知らざるに至るべし。
- 7
- 罪深き者よ、爾の眼には棒の横はるを知らずして、人の眼に在る針を見んとす。先づ自己の眼の棒を抜き取りて後、人の眼に在る針を抜き取ることを努むべし。罪深き間は、自己の履物を棚に直し置きて、人の履物の置所を罵るものなり。心せよ。神は何処にも坐まさぬといふことなし。
- 10
- 細き道を歩むべし。広き道を歩むものは、末必らず亡ぶることあらん。今の世の人、大方は広き道を取りて行けり。長く栄ゆる道は旧くして且狭きが如し。
- 11
- 失明者は光を見ること能はず、光を見ざるが故に、万の物を悉く見ることを得ず、不便限りなかるべし。況して心の眼を失ひたるものは、その苦しきこといかばかりぞや。今の世の中、九分九厘までも、心の盲者のみなり。瑞の御魂、坤之金神、この病を癒さん為めに来れり。
- 46
- 貧しき者は幸なり。そは高天原に到らん時、心に懸る重荷なければなり。富める者は種々の重荷身に纏ひて、高天原に到らんとすれども、能はず。苦しみ悶へつつ、終に奈落の底に沈み行くものなり。故に現世にて、富める者ほど憐れむべきものはあらず。富める者の高天原に到らんとするは、蜆を以て大海を替乾さんとするよりも難し。
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- されど爾等心安かれ、風も浪も直に和ぎなんとて、船絃に立ち、日の出の扇をあげて、風鎮まれと呼ばはりければ、風も浪も俄に鎮まりたりき。
- 漁夫達は驚きて、この人達は只人ならじ
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- 人は生れかはらねば、高天原に到ること能はず。
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道の大本
[編集]- 神の黙示は、即ち吾俯仰観察する、宇宙の霊力体の三大を以てす。
- 一、天地の真象を観察して、真神の体を思考す可し。
- 一、万有の運化の毫差なきを視て、真神の力を思考す可し。
- 一、活物の真性を覚悟して、真神の霊魂を思考す可し。
- 以上の活経典有り。真神たる故由を知る。何ぞ人為の書巻を学習するを用ひん哉。唯不変不易たる、真鑑実理有る而巳。
- 右学則は斯道の旗幟なり。