コンテンツにスキップ

霊界物語

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

霊界物語(れいかいものがたり)は新宗教「大本」の教祖・出口王仁三郎が大正から昭和初期にかけて口述筆記した物語。

霊界物語

[編集]

第1巻(子の巻)

[編集]
  • 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修業を了へてより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し。
  • 高熊山は上古は高御座山※と称し、のちに高座といひ、ついで高倉と書し、つひに転訛して高熊山となつたのである。丹波穴太の山奥にある高台で、上古には開化天皇を祭りたる延喜式内小幡神社の在つた所である。
  • 神示のまにまに高熊山に出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。
  • 高熊山の修行は一時間神界の修行を命せられると、現界は二時間の比例で修行をさせられた。しかし二時間の現界の修行より、一時間の神界の修行の方が数十倍も苦かつた。現界の修行といつては寒天に襦袢一枚となつて、前後一週間水一杯飲まず、一食もせず、岩の上に静坐して無言でをつたことである。
  • 人はどうしても一人で世に立つことはできぬものだ。四恩といふことを忘れては人の道が立たぬ。人は持ちつ持たれつ相互に助け合うてゆくべきものである。人と名がつけば、たとへ其の心は鬼でも蛇でもかまはぬ。大切にしなくてはならぬ。それに人はすこしの感情や、利害の打算上から、たがひに憎み嫉み争ふとは、何たる矛盾であらう、不真面目であらう。人間は神様である。人間をおいて力になつてくれる神様がどこにあるであらうか。
  • つぎに自分の第一に有難く感じたのは水である。一週間といふものは、水一滴口に入れることもできず、咽喉は時々刻々に渇きだし、何とも言へぬ苦痛であつた。たとへ泥水でもいい、水気のあるものが欲しい。木の葉でも噛んでみたら、少々くらゐ水は含んでをるであらうが、それも一週間は神界から飲食一切を禁止されてをるので、手近にある木の葉一枚さへも、口に入れるといふわけにはゆかない。その上時々刻々に空腹を感じ、気力は次第に衰へてくる。されど神の御許しがないので、お土の一片も口にすることはできぬ。

外部リンク

[編集]
Wikipedia
Wikipedia
ウィキペディアにも霊界物語の記事があります。