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*:松尾芭蕉『笈日記』
*:松尾芭蕉『笈日記』
*:芭蕉が多度大社へ参詣した際に詠んだ句。
*:芭蕉が多度大社へ参詣した際に詠んだ句。

*尾張に 直に向へる 一つ松 あはれ 一つ松 人にありせば 衣着せましを 太刀佩けましを
*:『日本書紀』
*:ヤマトタケルが東国に出征した際に、尾津前(尾津浜、現在の多度町御衣野)の地に刀を置き忘れたとの伝承がある。東国平定後の帰途に再びこの地を訪れた際、その刀が残っていたことを喜んで詠んだ詩<ref>[http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/128.html 「三重県指定文化財 日本武尊尾津前御遺跡」]桑名市教育委員会文化財ホームページ</ref>。


== 長島 ==
== 長島 ==

2009年6月14日 (日) 15:23時点における版

歌川広重『東海道五十三次・桑名』

桑名(くわな)に関する引用句集。(桑名藩桑名宿多度大社長島藩など、現在の三重県桑名市およびその近辺に相当する地域。)

桑名

葛飾北斎『桑名』
  • 桑名の殿様 時雨で 茶々漬け
    民謡『桑名の殿様』
  • 桑名の夜は暗かつた
    蛙(かへる)がコロコロ鳴いてゐた
    夜更の駅には駅長が
    綺麗な砂利を敷き詰めた
    プラットホームに只(ただ)独り
    ランプを持つて立つてゐた

    桑名の夜は暗かつた
    蛙がコロコロ泣いてゐた

    焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
    此処(ここ)のことかと思つたから
    駅長さんに訊(たづ)ねたら
    さうだと云つて笑つてた

    桑名の夜は暗かつた
    蛙がコロコロ鳴いてゐた
    大雨(おおあめ)の、霽(あが)つたばかりのその夜(よる)は
    風もなければ暗かつた
    「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間不通のため、臨時関西線を運転す」
    中原中也『桑名の駅(桑名の驛)』(1935年8月12日)
    「桑名のは暗かつた(桑名のは暗かった)」とするのは、世間に広まった誤り。
  • その手は桑名の焼き蛤
    地口
    「その手は喰わない」と「桑名の(名物の)焼き蛤」を掛けたもので、「その手にはひっかからない」ことを意味する。
  • 勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居に二朱女郎
    勢州桑名で名高いものは銅(かね)の鳥居に二朱女郎
    俚謡
    現代語訳 - 桑名には、(桑名宗社(春日神社)の)青銅鳥居や(地方としては比較的)高級な女郎(のいる遊郭)があるが、これらは桑名につりあわないほど立派なものである。
  • 桑名本統寺にて
    冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす
    松尾芭蕉『野ざらし紀行』
  • 草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたに出て、
    明ぼのやしら魚白きこと一寸
    松尾芭蕉『野ざらし紀行』
  • あまおふねのりのみ声にはまぐりは貝の耳にもとめてしのばむ
    黒沢行業(なりゆき)
    専正寺(桑名市今中町)にある蛤墳(こうふん)の碑文の狂歌。(文政6年)
  • 享保七年巳の春、岱山(たいざん)老人と一夜の名残をおしむ
    蛤の くはなや逢ふは 別れかな
    各務支考
  • ふろふきの熱田の神の慈眼(みそなは)す、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、めいぶつの焼蛤に酒くみかはして、
    十返舎一九東海道中膝栗毛』五編上
  • 旅人を茶屋の暖簾に招かせてのぼりくだりをまち屋川かな
    十返舎一九『東海道中膝栗毛』五編上
  • 「姉さん、ここは約束通り、焼蛤(やきはまぐり)が名物だの。」
    「そのな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張(よしずばり)なんぞでいたします。やっぱり松毬(まつかさ)で焼きませぬと美味(おいし)うござりませんで、当家(うち)では蒸したのを差上げます、味淋(みりん)入れて味美(あじよ)う蒸します。」
    泉鏡花歌行燈[1]
  • 万古の焼と蛤に 其名知られし桑名町 日も長島の西東 揖斐と木曽との川長し
    鉄道唱歌 関西・参宮・南海編 18番
  • 春風かおる菜花の 伊勢路の旅のうららかさ 桑名祭は鉦太鼓 石採神事の賑わしさ
    新鉄道唱歌 日本放送協会編 伊勢路編 1番
  • わたくしたち桑名市民は,永い伝統と豊かな人情に恵まれてきました。
    これからも桑名に住んでいることを誇りとする都市にするため,つぎのことを日常生活の「こころがまえ」と定め,たゆまぬ努力をつづけましょう。
    1 自然を愛し,明るい郷土をつくりましょう。
    1 互いにたすけ合い,住みよい社会をつくりましょう。
    1 教養をふかめ,文化の高いまちをつくりましょう。
    1 健康につとめ,しあわせな家庭をつくりましょう。
    1 産業をのばし,豊かな都市をつくりましょう。
    桑名市民憲章(1977年4月1日制定[2]。2004年12月6日、旧桑名市、桑名郡多度町及び長島町の対等合併により失効。)
  • 是の日に、天皇、桑名郡家(くはなのこほりのみやけ)に宿(やど)りたまひ、即(すなは)ち停(とどま)りて進(い)でまさず。
    是日、天皇宿于桑名郡家、即停以不進。
    日本書紀』第二十八 天淳中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと) 上 天武天皇
    地名・桑名が記された最古の文献。「是の日」は、672年6月26日を指す。
  • みやよりくはなへ
    のり合一人四十五文、のり物一てうは六人まへ、駕四人前、荷一駄三人前、のり下二人まへ、はさみ箱一人前也、此わたしは木そ川のはてなり、水出ればのぼりがたく、しほさせば心やすし
    早見道中記
  • くはなより四日市へ
    さやまはりの道は、すへにくはしくあり●くはな、はまぐりの名物也●町や川、土ばし百六十間あり●とはた村、茶や有●ぢふく村、川有、かちわたり也●あくら川、はしあり
    『早見道中記』

多度

  • お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り
    伊勢に詣らば多度をもかけ。お多度詣らにゃ片詣り。
    俗謡
    お多度は桑名市多度町の多度大社を指す。
  • 宮人よ我名を散らせ落葉川
    松尾芭蕉『笈日記』
    芭蕉が多度大社へ参詣した際に詠んだ句。
  • 尾張に 直に向へる 一つ松 あはれ 一つ松 人にありせば 衣着せましを 太刀佩けましを
    『日本書紀』
    ヤマトタケルが東国に出征した際に、尾津前(尾津浜、現在の多度町御衣野)の地に刀を置き忘れたとの伝承がある。東国平定後の帰途に再びこの地を訪れた際、その刀が残っていたことを喜んで詠んだ詩[3]

長島

  • うき我をさひしからせよ秋の寺
    大智院(桑名市長島町)で松尾芭蕉が詠んだ挨拶句
    『嵯峨日記』の「うき我をさひしからせよ閑古鳥」の初案

関連項目

脚注

  1. 泉鏡花『歌行燈』青空文庫
  2. 「三重県」(全国の都市の憲章) 財団法人あしたの日本を創る協会
  3. 「三重県指定文化財 日本武尊尾津前御遺跡」桑名市教育委員会文化財ホームページ

外部リンク

Wikipedia
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