「福澤諭吉」の版間の差分

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===『西洋事情(初編)巻一』===
===『西洋事情(初編)巻一』===
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○欧羅巴政学家の説に、<ruby><rb>凡</rb><rp>(</rp><rt>およ</rt><rp>)</rp></ruby>そ文明の政治と称するものには六ケ条の要訣ありと云えり。即ち左の如し。
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2009年9月14日 (月) 11:36時点における版

福澤諭吉(1862年撮影)

福沢諭吉 (福澤諭吉 1835-1901)

日本の教育者、思想家、慶應義塾大学創始者。

『西洋事情(初編)巻一』

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ウィキペディアにも文明政治の六条件の記事があります。

○欧羅巴政学家の説に、およそ文明の政治と称するものには六ケ条の要訣ありと云えり。即ち左の如し。

第一条 自主任意
国法寛にして人を束縛せず、人々みずからその所好このむところを為し、士を好むものは士となり、農を好むものは農となり、士農工商の間に少しも区別を立てず、もとより門閥を論ずることなく、朝廷の位をもつて人を軽蔑せず、上下貴賤各々その所を得て、ごうも他人の自由を妨げずして、天稟てんぴんの才力を伸べしむるを趣旨とす。ただし貴賤の別は、公務にあたりて朝廷の位を尊ぶのみ。その他は四民の別なく、字を知り理を弁じ心を労するものを君子としてこれを重んじ、文字を知らずして力役りきえきするものを小人とするのみ。本文、自主任意、自由の字は、我儘放盪にて国法をも恐れずとの義に非らず。総てその国に居り人と交て気兼ね遠慮なく自力丈け存分のことをなすべしとの趣意なり。英語に之を「フリードム」又は「リベルチ」と云う。未だ的当の訳字あらず。
第二条 信教
人々の帰依きえする宗旨を奉じて政府よりそのさまたげをなさゞるをう。古来宗旨の争論よりして人心を動揺し国を滅し人命を害するの例すくなからず。英国にてもハノオーフル家の世に至てより以来は、専ら「プロテスタント」の宗旨を奉じ、一時は国内に令を下して他宗を禁じたれども、阿爾蘭アイルランド人のごときは古来天主教を信じて政府の命に服せず、よりて又法を改め、宗門は人々の意に任すべしと定めたり。しかれども政府はもとより「プロテスタント」を奉ぜしめんとする意なるが故に、あるいは大にその寺院を建立し或は他宗の教師を擯斥ひんせきして「プロテスタント」の教師に大禄たいろくを与うる等のことありて、ややもすれば人心にもとり、又近来は一法を立て、国政に関る大臣は「プロテスタント」宗の人にあらざれば才徳ある者といえど擢用たくようすることなし。右等の故を以て、天主教に帰依する者は家を挙て他国へ移住すと云う。これすなわち政府にて信教の趣意を失する一例なり。
第三条
技術文学を励まして新発明のみちを開くこと。
第四条
学校を建て人才を教育すること。
第五条 保任安穏ほにんあんのん
政治一定して変革せず、号令必ず信にして欺偽ぎぎなく、人々国法を頼みやすんじて産業を営むを云う。たとえば、或は国債を償わず、或は通用金の位をひくくし、或は商人会社の法を破り、或は為替問屋の分散する等、皆その政治に保任の趣意を失うものなり。現今仏蘭西フランス帝所有の金を英国の為替問屋へ預けしと云うも、その制度の固くして頼むべき所あるの一証なり。
第六条
人民飢寒きかんうれいなからしむること。即ち病院、貧院等を設て貧民を救うを云う。

『中津留別の書』

  • 人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家もおさまらず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。

學問ノスヽメ

  • 天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ。サレバ天ヨリ人ヲ生ズルニハ、萬人ハ萬人皆同ジ位ニシテ、生レナガラ貴賤上下ノ差別ナク、萬物ノ靈タル身ト心トノ働キヲモッテ天地ノ間ニアルヨロズノ物ヲ資リ。モッテ衣食住ノ用ヲ達シ、自由自在、互イニ人ノ妨ゲヲナサズシテ各々安樂ニコノ世ヲ渡ラシメ給ウノ趣意ナリ。

但し、最も有名とされる下線部は、諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国独立宣言の内の一節を引用したものである。

  • 我日本国人も今より学問に志し、気力をたしかにして、ず一身の独立をはかり、したがつて一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん。道理あるものはこれにまじわり、道理なきものはこれを打払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり。
  • 天理人道に従て互の交を結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためには英吉利・亞米利加の軍艦をも恐れず、國の耻辱とありては日本國中の人民一人も殘らず命を棄てゝ國の威光を落さゞるこそ、一國の自由獨立と申すべきなり。

福翁自傳

  • 私のために門閥制度は親のかたきで御座る。
  • 所でかえりみて世の中を見ればがたいことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形にあらわれたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有ありがたいともいようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、さきに死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せてりたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。ただれ日本の外交の序開じよびらきでこそあれ、ソレほど喜ぶけもないが、その時の情にまれば夢中にならずには居られない。

『福澤全集緒言』

  • ただ早分りに分りやすき文章を利用して通俗一般に広く文明の新思想を得せしめんとの趣意しゆいにして、すなわちこの趣意しゆいもとづき出版したるは『西洋旅案内』、『窮理図解』等の書にして、当時余は人に語りていわく、是等これらの書は教育なき百姓町人輩にわかるのみならず、山出やまだし下女げじよをして障子ごしに聞かしむるもその何の書たるを知る位にあらざれば余が本意にあらずとて、文を草して漢学者などの校正を求めざるは勿論もちろん殊更ことさらに文字に乏しき家の婦人子供等へ命じて必ず一度は草稿を読ませ、その分らぬと訴るところに必ず漢語のむずかしきものあるを発見してこれを改めたること多し。
  • 余が印章に三十一谷人の五字をこくしたるものあり。れはたににもやまにも地名などに縁あるにあらず、三十一を一字にすれば世の字にして、谷人こくじんの人を扁にして左右に並ぶれば俗の字とるが故に、すなわち世俗の意を寓したるものにして、前年、龍洲りようしゆう先生の文談を聞きし後に特に彫刻せしめたる戯作ぎさく思付おもいつきのいんなり。
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