「坂本龍馬」の版間の差分

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
3 行 3 行


=== 手紙からの引用 ===
=== 手紙からの引用 ===
*日本を今一度せんたくいたし申候 - 文久3年6月29日坂本乙女宛
*日本を今一度せんたくいたし申候 [http://ja.wikisource.org/wiki/坂本龍馬の手紙/文久3年6月29日付坂本乙女宛 Wikisource文久3年6月29日坂本乙女宛]
*此頃願上度事ハ古人も在云、国家難ニのぞむの際ニハ必、家宝の甲を分チ、又ハ宝刀をわかちなど致し候事。何卒御ぼしめしニ相叶候品、何なり共被遣候得バ、死候時も猶御側ニ在之候思在之候。何卒御願申上候。 - 慶応2年12月4日権平宛(手紙にて吉行の刀を求める箇所)
*此頃願上度事ハ古人も在云、国家難ニのぞむの際ニハ必、家宝の甲を分チ、又ハ宝刀をわかちなど致し候事。何卒御ぼしめしニ相叶候品、何なり共被遣候得バ、死候時も猶御側ニ在之候思在之候。何卒御願申上候。 [http://ja.wikisource.org/wiki/坂本龍馬の手紙/慶応2年12月4日付坂本権平宛 Wikisource慶応2年12月4日付坂本権平宛](手紙にて吉行の刀を求める箇所)
*先頃西郷より御送被遣候吉行の刀、此頃出京ニも常帯仕候。京地の刀剣家ニも見セ候所、皆粟田口忠綱位の目利仕候。此頃毛利荒次郎出京ニて此刀を見てしきりにほしがり、私しも兄の賜なりとてホコリ候事ニて御座候。 - 慶応3年6月24日権平宛(手紙にて吉行の刀にふれる箇所)
*先頃西郷より御送被遣候吉行の刀、此頃出京ニも常帯仕候。京地の刀剣家ニも見セ候所、皆粟田口忠綱位の目利仕候。此頃毛利荒次郎出京ニて此刀を見てしきりにほしがり、私しも兄の賜なりとてホコリ候事ニて御座候。 [http://ja.wikisource.org/wiki/坂本龍馬の手紙/慶応3年6月24日付坂本権平宛 Wikisource慶応3年6月24日付坂本権平宛](手紙にて吉行の刀にふれる箇所)


=== 和歌からの引用 ===
=== 和歌からの引用 ===

2010年11月11日 (木) 10:29時点における版

坂本龍馬 (1835年 - 1867年)

さかもと りょうま。江戸時代末期の志士。

手紙からの引用

  • 日本を今一度せんたくいたし申候 Wikisource文久3年6月29日坂本乙女宛
  • 此頃願上度事ハ古人も在云、国家難ニのぞむの際ニハ必、家宝の甲を分チ、又ハ宝刀をわかちなど致し候事。何卒御ぼしめしニ相叶候品、何なり共被遣候得バ、死候時も猶御側ニ在之候思在之候。何卒御願申上候。 Wikisource慶応2年12月4日付坂本権平宛(手紙にて吉行の刀を求める箇所)
  • 先頃西郷より御送被遣候吉行の刀、此頃出京ニも常帯仕候。京地の刀剣家ニも見セ候所、皆粟田口忠綱位の目利仕候。此頃毛利荒次郎出京ニて此刀を見てしきりにほしがり、私しも兄の賜なりとてホコリ候事ニて御座候。 Wikisource慶応3年6月24日付坂本権平宛(手紙にて吉行の刀にふれる箇所)

和歌からの引用

  • 世の人は 我をなんとも 言わば言え 我が為すことは 我のみぞ知る
  • 丸くとも一かどあれや人心あまりまろきは ころびやすきぞ

その他

  • 世に活物たるもの皆衆生なれば、いづれを上下とも定めがたし。いま世の活物にては、ただ我をもって最上とすべし。
    • 『軍中龍馬奔走録』より
  • 船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る。
    • 沈んだ「いろは丸」の賠償金を紀州藩に支払わせるため、龍馬が作り、長崎の丸山で流行させた歌。
  • 人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。
  • 人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。