「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の版間の差分

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1 行 1 行
== Notebooks 1914-1916 ==
== Notebooks 1914-1916 ==
*人はしばしば、しるしをつけたあとで、それ「どうやって」真にするかを見い出す。(1914)
*人はしばしば、しるしをつけたあとで、それ「どのよ」真であかを見い出す。(1914)
*[[論理]]はそれ自体を参照する。つまり、私たちがしなければならないことのすべというものは、それ論理を観察して、それがどのように何をするか見ることである。(1914)
*[[論理]]はそれ自体を参照する。つまり、私たちがしなければならないことのては、それ論理を観察して、それがどのように舞う見ることである。(1914)
*問題にとらわれるな。しかし、つねにちらこちらに飛翔し続けるということは、あるひとつの」偉大な問題の全体を自由俯瞰することである。たとえ、その景色曇っていたとしても。(1914)
*部分的な問題にとらわれるな。しかし、あの総体的なつの」偉大な問題にする自由な視界がある場所に、いつも飛翔していなさい。たとえ、その視界にぼやけものだとしても。(1914)
*私の困難ただひとつ――とんでもないバケモノだ――表現における困難である。(1915)
*私の困難はただひとつ表現ことの非常な困難である。(1915)
*私は、自然状態の命題からは、なにひとつ、個別の論理的な操作をも見い出すことが「できない」! (1915)
*私は、自然状態の命題からは、独立した論理的な操作を得ることが「できない」! (1915)
*次に示すことは、[[哲学者|テツガクシャ]]というものにとっての主要な能力のひとつである。すなわち、自分自身と関わりのない問題によって、自分自身を占領してしまわないこと。(1915)
*[[哲学者]]にとっての主要な能力のひとつ、自分自身と関ない問題に占領されないことである。(1915)
*言語は、私たちという有機体の一部分であって、それよりも複雑なものは存在しない。(1915)
*言語は、私たちの器官の一部分であ、それよりも複雑なものはない。(1915)
*確実なことは、次のように言うことは正しいということだ。すなわち、善悪を識別する精神神の声である。(1915)
*次のように言うことは確実に妥当である。すなわち、善悪を識別する精神は神の声である。(1915)
*[[神]]と、[[人生]]の目的とについて、私は何を知りうるというのか?<br />[……]<br />人生の目的という物、さらに言えば、世界の意味というものを、私たちは神と呼ぶことができる。<br />[……]<br />祈とは、生の意味について考えることである。(1916)
*[[神]]と、[[人生]]の目的とについて、私は何を知りうるか?<br />私は、この世界が存在することを知っている。<br />[……]<br />人生の目的、さらに言えば、世界の意味を、私たちは神と呼ぶことができる。<br />[……]<br />祈ることは、生の意味について考えることである。(1916)
*神を信じるということは、生の意味についての問いを理解するということ。<br />神を信じるということは、世界の諸事実の終わりではないということを見ること。<br />神を信じるということは、生には意味があるということを見い出すこと。(1916)
*何らかの神を信じることが意味するのは、生の意味についての問いを理解することである。<br />何らかの神を信じることが意味するのは、世界の諸事実は物の終わりではないということを見ることである。<br />神を信じることが意味するのは、生には意味があるということを見ことである。(1916)
*[[時間]]の中に生きるではなく、現在を生きる人だけが、幸福である。(1916)
*[[時間]]の中に生きるではなく、現在を生きる人だけが、幸福である。(1916)
*右記である。小宇宙である。<br />そしては、私の世界である。(1916)
*世界というものと、生と、一つである。[……]生と、世界というものと、一つである。<br />[……]<br />倫理学と美学とは、一つである。(1916)
*次に記すのは真である。すなわち、人は小宇宙である。<br />すなわち、私は、私の世界である。(1916)
*想像できないものは、語ることもまたできない。(1916)
*自明は、気軽な関係とうものは、まったくもっ気軽な関係ではない、ということである。(1916)
*想像され得い物事は、それについて話されることさえ不可能である。(1916)
*自明なのは、気軽な関係というものは、何らかの関係では絶対にない、ということである。(1916)

== 論理哲学論考 (1921) ==


[[Category:哲学者|ういとけんしゆたいん るうとういひ]]
[[Category:哲学者|ういとけんしゆたいん るうとういひ]]

2011年11月26日 (土) 13:43時点における版

Notebooks 1914-1916

  • 人はしばしば、しるしをつけたあとで、それが「どのように」真であるのかを見い出す。(1914)
  • 論理はそれ自体を参照する。つまり、私たちがしなければならないことの全ては、それ(論理)を観察して、それがどのように振る舞うかを見ることである。(1914)
  • 部分的な問題にとらわれるな。しかし、あの総体的な「一つの」偉大な問題に対する自由な視界がある場所に、いつも飛翔していなさい。たとえ、その視界が未だにぼやけたものだとしても。(1914)
  • 私の困難はただひとつ、表現することの非常な困難である。(1915)
  • 私は、自然状態の命題からは、独立した論理的な操作を得ることが「できない」! (1915)
  • 哲学者にとっての主要な諸能力のひとつは、自分自身と関係ない問題に占領されないことである。(1915)
  • 言語は、私たちの器官の一部分であり、それよりも複雑なものはない。(1915)
  • 次のように言うことは確実に妥当である。すなわち、善悪を識別する精神は神の声である。(1915)
  • と、人生の目的とについて、私は何を知りうるか?
    私は、この世界が存在することを知っている。
    [……]
    人生の目的、さらに言えば、世界の意味を、私たちは神と呼ぶことができる。
    [……]
    祈ることは、生の意味について考えることである。(1916)
  • 何らかの神を信じることが意味するのは、生の意味についての問いを理解することである。
    何らかの神を信じることが意味するのは、世界の諸事実は物の終わりではないということを見ることである。
    神を信じることが意味するのは、生には意味があるということを見ることである。(1916)
  • 時間の中に生きる人ではなく、現在を生きる人だけが、幸福である。(1916)
  • 世界というものと、生とは、一つである。[……]生と、世界というものとは、一つである。
    [……]
    倫理学と、美学とは、一つである。(1916)
  • 次に記すのは真である。すなわち、人は小宇宙である。
    すなわち、私は、私の世界である。(1916)
  • 想像され得ない物事は、それについて話されることさえ不可能である。(1916)
  • 自明なのは、気軽な関係というものは、何らかの関係では絶対にない、ということである。(1916)

論理哲学論考 (1921)