「薄田泣菫」の版間の差分

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===「望郷の歌」===
===「望郷の歌」===
*わが{{ruby|故郷|ふるさと}}は、日の光蝉の小河にうはぬるみ、<br/>{{ruby|在木|ありき}}の枝に色鳥の{{ruby|咏|なが}}声する日ながさを、<br/>物詣する{{ruby|都女|みやこめ}}の歩みものうき彼岸会や、<br/>桂をとめは河しもに梁誇りする鮎汲みて、<br/>{{ruby|小網|おで}}の雫に{{ruby|清酒|きよみき}}の香をか嗅ぐらむ{{ruby|春|はる}}日なか、<br/>櫂の{{ruby|音|と}}ゆるに漕ぎかへる山桜{{ruby|会|ゑ}}の若人が、<br/>瑞木のかげの恋語り,壬生狂言の歌舞伎子が<br/>技の手振の{{ruby|戯|ざれ}}ばみに、笑み広ごりて興じ合う<br/>かなたへ、君といざかへらまし。
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*[https://blog.goo.ne.jp/u-sugu/e/d3481ba6d74108fba880770b8b3a2bb9 世の中って不公平だな]


==その他==
==その他==

2021年1月3日 (日) 15:22時点における版

薄田泣菫(1877年 - 1945年)は日本の詩人、随筆家。

『白羊宮』(1906年)

『白羊宮』初版デジタル複製

「ああ大和にしあらましかば」

  • ああ、大和にしあらましかば、
    いま神無月、
    うは葉散り透く神無備かみなびの森の小路を、
    あかつき露に髪ぬれて往きこそかよへ、
    斑鳩へ。
  • 日は木がくれて、諸とびら
    ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
    そそ走りゆく乾反葉ひたりば
    白膠木ぬるで、名こそあれ、葉広はびろ菩提樹、
  • ああ大和にしあらましかば、
    今日神無月、
    日のゆふべ、
    ひじりごころの暫しをも、
    知らましを、身に。
    • 吉田精一はこの詩の発想はロバート・ブラウニングの "Home-thought from abroad"に暗示を得たものとしている(吉田精一『日本近代詩鑑賞 明治篇』)。ただし吉田は、現在のイングランドを思うブラウニングに対して天平の古都を追想、空想する泣菫は作為において隔たるとも指摘する。

「望郷の歌」

  • わが故郷ふるさとは、日の光蝉の小河にうはぬるみ、
    在木ありきの枝に色鳥のなが声する日ながさを、
    物詣する都女みやこめの歩みものうき彼岸会や、
    桂をとめは河しもに梁誇りする鮎汲みて、
    小網おでの雫に清酒きよみきの香をか嗅ぐらむはる日なか、
    櫂のゆるに漕ぎかへる山桜の若人が、
    瑞木のかげの恋語り,壬生狂言の歌舞伎子が
    技の手振のざればみに、笑み広ごりて興じ合う
    かなたへ、君といざかへらまし。

その他

  • こよひ花野の夕づくよ
    君待ちくらす心地して
    月映(つきばえ)あかり面(おも)はゆき
    すゞろ心の胸のときめき。--「待ごころ」
Wikipedia
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