「大弐三位」の版間の差分

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'''[[w:大弐三位|大弐三位]]'''(だいにのさんみ、999年頃〜1082年頃は平安中期の女流歌人。[[w:女房三十六歌仙|女房三十六歌仙]]の一人。[[藤原宣孝]]の女、母は[[紫式部]]。本名は'''藤原賢子'''(ふじわら の かたいこ または けんし)。'''藤三位'''(とうのさんみ)、'''越後弁'''(えちごのべん)、'''弁乳母'''(べんのめのと)とも呼ばれる。はじめ母の後を継ぎ、一条院の女院上東門院[[w:藤原彰子|藤原彰子]]に仕え、のち関白・[[w:藤原道兼|藤原道兼]]の次男・[[w:藤原兼隆|兼隆]]と結婚した。親仁親王([[w:後冷泉天皇|後冷泉天皇]])の誕生に伴い、その乳母に任ぜられた。後冷泉天皇即位後とともに従三位に昇叙、夫・成章も大宰大弐に就任した


== 引用 ==
== 引用 ==

2022年8月12日 (金) 06:01時点における版

大弐三位

大弐三位(だいにのさんみ、999年頃〜1082年頃)は平安中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の女、母は紫式部。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ または けんし)。藤三位(とうのさんみ)、越後弁(えちごのべん)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。はじめ母の後を継ぎ、一条院の女院上東門院藤原彰子に仕え、のち関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚した。親仁親王(後冷泉天皇)の誕生に伴い、その乳母に任ぜられた。後冷泉天皇即位後とともに従三位に昇叙、夫・成章も大宰大弐に就任した

引用

  • 有馬山ゐなの笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする
    • 『後拾遺和歌集』『小倉百人一首』収録。
  • 梅の花なににほふらむ見る人の色をも香をも忘れぬる世に
    • 『新古今和歌集』収録。詞書「上東門院、世をそむき給ひにける春、庭の紅梅を見侍りて」
    • 藤原彰子は1026年出家。
  • はるかなるもろこしまでもゆくものは秋の寝覚の心なりけり
    • 『千載和歌集』収録。

外部リンク

Wikipedia
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ウィキペディアにも大弐三位の記事があります。