崇徳天皇
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[編集] 崇徳天皇(1119年7月7日 - 1164年9月14日)
すとくてんのう。平安時代の天皇。政治的には不遇。『久安百首』『詞花和歌集』を詠進させた。保元の乱に敗れ、讃岐に流罪になった。
[編集] 出典の明らかなもの
[編集] 和歌
[編集] 『詞花和歌集』
- 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
- 『久安百首』には、「ゆきなやみ岩にせかるる谷川のわれても末にあはむとぞ思ふ」。
- 藤原定家により小倉百人一首に収録。
- 本歌:武烈天皇「大太刀を垂れ佩き立ちて抜かずとも末は足しても遇はむとぞ思ふ」『日本書紀』
[編集] 『千載和歌集』
- 花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりをしる人ぞなき
- 鳥はここでは鶯を指す。
- はやせ川みをさかのぼる鵜かひ舟まづこの世にもいかがくるしき
- たなばたに花そめ衣ぬぎかせば暁露のかへすなりけり
[編集] その他
- 讃岐につかせ給ひしかども、国司いまだ御所をつくり出さざれば、当国の在庁、散位高季といふ者のつくりたる一宇の堂、松山といふ所にあるにぞ入れまゐらせける。されば事にふれて都をこひしく思しめしければ、かくなん
- 松山は現在の坂出市。
- 夢の世になれこし契りくちずしてさめん朝(あした)にあふこともがな
- 『玉葉和歌集』。死の直前、配所より藤原俊成に贈った長歌に付した反歌。
[編集] 発言
- 日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん。--『保元物語』