方丈記
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方丈記は日本の文学作品である。
作者は鴨長明である。
方丈記からの引用
[編集]- あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
- 又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。……。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。元より此処に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。道のほとりを見れば、車に乘るべきはうまに乗り、衣冠布衣なるべきはひたたれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。
- それ三界は、ただ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でては、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の気味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。
- もし歩くことあれば、みづから歩く。苦しといへども、馬鞍牛車と心を悩ますにはしかず。
- 歩かなければならない所へは、自分の足で歩いて行く。くたびれて苦しくはあっても、馬だ、鞍だ、牛車だと、めんどうな思いをするよりもましである。