ムハンマド・バーキル
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ムハンマド・アル=バーキル(アラビア語: أبو جعفر محمد بن علي الباقر ; 西暦676年 - 743年、シーア派第5代イマーム。アル=バーキルとは「知を分き開く者」の意。
格言
[編集]- 「アッラーにかけて。高貴なるアッラーは二つの特性を人々に期待される。アッラーの恩恵が増すようかれに告白すること。悪行を告白すること。その後、かれは彼らの罪を御赦しになる」 『アル=カーフィー』2巻、426頁。
- 「審判の日、僕が最初に裁かれるのは礼拝についてである。したがって、それが受け入れらたなら、残りの善行も受け入れられる。(さもなければ善行は無駄に終わる)」 『ビハール・アル=アンワール』7巻、267頁。
- 「人が栄光の全能主アッラーと面会するとき、これらと共に天国に入るだろう。1.アッラーに並ぶ神はないことの告白 2.ムハンマドはアッラーの使徒であることの告白 3.アッラーから預言者(彼の上に平安あれ)に与えられたもの(クルアーン)を認識すること 4.義務の礼拝を行なうこと 5.喜捨を差し出すこと 6.ラマダーン月に断食をすること 7.聖なる家に巡礼すること 8.アッラーを愛する者に親切にすること 9.アッラーの敵から離れること 10.飲酒を避けること」 『ヒサール』サドゥーク 432頁。
- 「僕が栄光の全能主アッラーに近づくことのできる最高の手段は、アッラーへの服従、かれの使徒への服従、(崇高な)権威を与えられた人々への服従である」 それから彼はこう付け加えた。 「われわれ(アフルル・バイト)への愛は信仰であり、我々を憎悪することは背信行為である」 『アル=カーフィー』1巻、187頁。
- 「知識を習得するよう努めなさい。学びは善行であり、勉学はそれ自体が信仰行為だからである」 『ビハール・アル=アンワール』78巻、189頁。
- 「賢人と対面するときは、おしゃべりになるのではなく、聞こうとするように努めなさい。よい話し方だけでなく、どうやって耳を傾けるのかを学びなさい。誰かの言葉をさえぎってはならない」 『ビハール・アル=アンワール』1巻、222頁。
- 「己の罪を悔悟する者は罪(の重荷)を全く背負っていない者と同じである」 『ワサーイル・アル=シーアフ』16巻、74頁。
- 「同胞のムスリムの(威厳を守るために)七十の大きな過ち〔罪〕を隠すのは、各ムスリムの義務である」(彼の過ちは個人的に扱われるべきであり、社会の人々に広められてはならない) 『ビハール・アル=アンワール』74巻、301頁。
- 「自分の舌を制御しないかぎり、誰も罪から安全ではない」 『ビハール・アル=アンワール』78巻、178頁。
- 「誠に、崇高なるアッラーは悪に鍵をされた。酒には鍵がかかっているのだが、嘘をつくことは酒よりも悪い」 『アル=カーフィー』2巻、339頁。
- 「女性を娶る者は、確かに、彼女を尊重しなければない。あなたがたの妻は、あなたがたの喜びの手段だからである。だから、女と結婚した者は、(彼女の重んじられるべき権利を無視して)彼女を損なったり汚したりしてはならない」 『ビハール・アル=アンワール』103巻、224頁。
- 「審判の日、アッラーに対し、女性にとって夫の同意より効果的な取り成しはない」 『ビハール・アル=アンワール』81巻、345頁。
- 「女性が夫のためにする装飾は何であってもかまわない」 『アル=カーフィー』5巻、119頁。
- 「現世で自分の家族を食べさせるために、また愛情を隣人に広げ、他人に頼らずに糧を求める者は、審判の日、栄光の創造主アッラーとの面会で、彼の顔は満月のように輝くであろう」 『アル=カーフィー』5巻、78頁。
- 「胃袋と陰部の清廉より価値のあるアッラーへの信仰はない」 『アル=カーフィー』2巻、80頁。
- 「怠惰と不満を避けなさい。このふたつはあらゆる悪への鍵である」 『ビハール・アル=アンワール』78巻、175頁。
- 「理由がなく、ただ気が進まないというだけで、またムスリム同胞を避けるために合同礼拝を放棄する者は、どの祈りも考慮されない」 『ビハール・アル=アンワール』88巻、11頁。