ラーマ7世

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ラーマ7世[編集]

1893年 - 1941年。1932年の立憲革命時のタイの君主(在位、1911年 – 1934年)。本名ポッククラオ。タイ国外の通称はプラチャーティポック。

  • 僕はこの手順の色々と細かい部分を考えてきて何年にもなる。なぜなら、僕の治世の内に起こることがよく分かっていたからだ。
    "ฉันได้คิดรายละเอียดพิธีนี้มาหลายปีแล้ว เพราะรู้ดีว่าจะต้องเกิตขึ้นในรัชกาลของฉัน"
1932年の12月から翌1月に弟のチャクラポン親王とかわされた書簡より。文章中の「この手順」とは憲法の発布を意味する。後者の文の内、「起こる」とは憲法発布の要求に付いて言っている。
  • 私(わたくし)は人民のために、元々私に有ったところの権力を放棄する心の準備は出来ている。
    "ข้าพเจ้ามีความเต็มใจเสียสละอำนาจ อันเป็นของข้าพเจ้าอยู่เดิมให้แก่ราษฎรทั่วไป"
1934年のラーマ7世退位宣言より。「人民のため」とあるのは旧人民党勢力が国会内で権力を有し続けていることに対して抗議をしたものである。のちのタイにおける民主化運動では1973年の憲法要求グループがこれを引用したビラを配っている。