仏説無量寿経

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仏説無量寿経[編集]

『スカーバティービューハ(Skt:Sukhaavatii-vyuuha)』佛説無量壽經。仏教中の浄土経典の浄土三部経の一つ。「観経」(観無量寿経)「小経」(阿弥陀経)に対して、「大経」と呼ばれる。三国魏の康僧鎧訳。

四十八願[編集]

  • 設(たと)え我れたるを得んとするも、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生まれんことを欲し、乃至十念せん。若し(衆生の)生まれずんば、(我れ)正覚を取らじ。 唯だ五逆(の徒)と正法(=仏法)を誹謗するものを除く。
    設我得佛 十萬衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法
    もし私が悟りを得ようとする時、過去現在未来のあらゆる衆生が、すべて正しい悟りを求め、私の仏国土(極楽浄土)に生まれることを願い、その願いを十度繰り返さんことを願う。もしあらゆる衆生が(極楽に)生まれなければ、私は正しい悟りを得ることがないように。ただし(衆生には)五逆の大罪を犯した者、仏法を誹謗した者は除かれる。  のちに阿弥陀如来となる法蔵菩薩が立てた四十八願中の第十八願念仏往生の願。この願を立てた法蔵菩薩が阿弥陀如来となり、極楽浄土に住むようになったということは、この願が達成されたからである、と解釈され、衆生が極楽往生できる根拠として、本願中の王として重視されている。