劉邦

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劉邦

劉邦(りゅう ほう、紀元前256年または247年‐紀元前195年)は、前漢の初代皇帝(在位:紀元前202年‐紀元前195年)。はい県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖(こうそ)と呼ばれることが多い。

引用[編集]

  • ああ、立派な男というのはこうあるべきものだなあ。
    嗟乎、大丈夫當如此也。
    • 『史記』「高祖本紀」
    • 若き日の劉邦が咸陽で始皇帝を見ていったという。
  • そもそもはかりごとを軍の本陣でめぐらし遠方で勝ちを決めることに関しては、わしは子房に及ばない。国家を安定させ万民をいつくしみ食料を与えて食糧の供給路を絶やさないようにするには、わしは蕭何に及ばない。百万の軍勢を率いて戦には必ず勝ち攻めれば必ず敵を討ち取ることに関しては、わしは韓信に及ばない。この三者はみな抜きん出て優れた者である。わしは彼らを用いることが出来た。これがわしが天下を取れた理由である。項羽には一人、范増がいたが、用いることはできなかった。これが、項羽がわしのとりことなった理由である。
    夫運籌策帷帳之中、決勝於千里之外、吾不如子房。鎮國家、撫百姓、給餽馕、不絕糧道。吾不如蕭何。連百萬之軍、戰必勝、攻必取,吾不如韓信。此三者、皆人傑也、吾能用之、此吾所以取天下也。項羽有一范增而不能用、此其所以為我擒也。
    • 『史記』「高祖本紀」

劉邦に関する引用[編集]

  • 項王の天下を奪うのは、必ず沛公劉邦であろう、私の一族は彼の捕らわれ者になるだろう。--范増、『史記』「項羽本紀」
    奪項王天下者、必沛公也、吾屬今為之虜矣。

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