孟子
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『孟子』
[編集]- 自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。
- 自反而縮 雖千萬人 吾往矣 -- 公孫丑章句 上
- 【読み】
- みずからをかえりみてなおくんば、せんまんにんといえども、われゆかん。
- 【意味】
- 自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。
- 人皆な人に忍びざるの心あり。 今、人の乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆な怵惕惻隠の心あり。 惻隠の心なきは、人にあらざるなり。 惻隠の心は、仁の端なり。
- 人皆有不忍人之心。 今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。 無惻隱之心、非人也。 惻隱之心、仁之端也 -- 公孫丑章句 上
- 【読み】
- ひとみなひとにしのびざるのこころあり。 いま、ひとのたちまちじゅしのまさにせいにいらんとするをみれば、みなじゅつてきそくいんのこころあり。 そくいんのこころなきは、ひとにあらざるなり。 そくいんのこころは、じんのたんなり。
- 【意味】
- 人にはみな人に忍びないと思う心がある。 今、人であるものが、今にも井戸に落ちようとしている幼な子を見たとしたら、みな憐憫の情、可哀相と感じる心を持つものだ。 憐れみの心がない者は、人ではない。 憐れみの心は、仁であることの始まりである。
- 民を貴しと為す。社稷はこれに次ぎ、君を軽しと為す。
- 民爲貴 社稷次之 君爲輕 -- 14 尽心章句下
- 【読み】
- 【意味】
- ゆえに天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ。
- 故天將降大任於是人也 必先苦其心志 勞其筋骨
- 【読み】
- 【意味】
- 君子に三楽あり、而して天下に王たるは与かり存せず。
- 君子有三樂 而王天下不與存焉
- 【読み】
- 【意味】
- 人の患は、好んで人の師に爲るに在り
- 人之患 在好爲人師 - 離婁章句上
孟子より派生したもの
[編集]- 五十歩百歩
- 或百歩而後止 或五十歩而後止 以五十歩笑百歩 則何如 -- 「梁恵王 上」
孟子の母に由来する言葉
[編集]- 孟母三遷
- 鄒孟軻之母也。號孟母。其舍近墓。孟子之少也,嬉遊為墓間之事,踴躍築埋。孟母曰:「此非吾所以居處子也。」乃去舍市傍。其嬉戲為賈人衒賣之事。孟母又曰:「此非吾所以居處子也。」復徙舍學宮之傍。其嬉遊乃設俎豆揖讓進退。--「列女伝」巻1「鄒孟軻母」[1]
- 断機の戒め
- 孟子之少也,既學而歸,孟母方績,問曰:「學何所至矣?」孟子曰:「自若也。」孟母以刀斷其織。孟子懼而問其故,孟母曰:「子之廢學,若吾斷斯織也。夫君子學以立名,問則廣知,是以居則安寧,動則遠害。今而廢之,是不免於廝役,而無以離於禍患也。何以異於織績而食,中道廢而不為,寧能衣其夫子,而長不乏糧食哉!女則廢其所食,男則墮於脩德,不為竊盜,則為虜役矣。」孟子懼,旦夕勤學不息,師事子思,遂成天下之名儒。君子謂孟母知為人母之道矣。--「列女伝」巻1「鄒孟軻母」[1]
孟子に関する引用
[編集]- おっかさん又越すのかと孟子言い -- 江戸時代の川柳
- 上記の「孟母三遷」を題材にしている。