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藤原伊尹

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
藤原伊尹

藤原伊尹ふじわらのこれただ またはこれまさ、924年〜972年)は日本の平安時代中期の政治家。摂政。花山天皇外祖父。歌人。三十六歌仙のひとり。諡は謙徳公けんとくこう。異称を一条摂政(いちじょうのせっしょう)。

引用

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  • あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
    • 『拾遺和歌集』収録。『一条摂政御集』巻頭歌。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。
  • いにしへは散るをや人の惜しみけむ花こそ今は昔恋ふらし
    • 『拾遺和歌集』『和漢朗詠集』収録。詞書「中納言敦忠まかりかくれてのち、比叡の西、坂本に侍りける山里に、人々まかりて花見侍りけるに」。
  • かくれ沼のそこの心ぞうらめしきいかにせよとてつれなかるらん
    • 『拾遺和歌集』収録。

藤原伊尹に関する引用

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  • いと若くて失せおはしましたることは、九条殿の御遺言をたがへさせたまひけるとぞと、人申しける。--『大鏡』「太政大臣伊尹」[1]
  • 過差ことの外に好ませたまひて、大饗せさせたまふに、寝殿の裏板のかべの少し黒かりければ、にはかに御覧じつけて、とくみちのくに紙をつぶと押させたまひけるが、なかなか白く清げにはべりける。--『大鏡』「太政大臣伊尹」[2]

注釈

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  1. 『大鏡』佐藤球校註、明治書院、1922年、p.100。国立国会図書館近代デジタルライブラリー、コマ番号55。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964404 より2015年10月22日 (木) 14:03 (utc)取得に基づき、一部漢字を開いた。
  2. 『大鏡』佐藤球校註、明治書院、1922年、p.101。国立国会図書館近代デジタルライブラリー、コマ番号55。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964404 より2015年10月22日 (木) 14:03 (utc)取得に基づき、一部漢字を開いた。