藤原興風

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藤原興風

藤原興風(ふじわら の おきかぜ、生没年不詳)は、平安時代の歌人。藤原京家の出身。父は相模掾藤原道成、曾祖父は「歌経標式」の著者とされる藤原浜成。

治部少丞(じぶのしょうじょう)下総大掾などを歴任し、最高位は正六位上治部丞。官位は低かったが「古今和歌集」の時代における代表的な歌人で、「寛平后宮歌合」・「亭子院歌合」などの歌合への参加も多く見られる。音楽にも秀でていたと言われている。中古三十六歌仙の一。

情報源の確かなもの[編集]

  • あしひきの山吹の花ちりにけり井手のかはづは今やなくらむ
    • 『古今和歌集』詞書「延喜十三年、亭子院歌合の歌」
  • きみ恋ふる涙のとこにみちぬればみをつくしとぞ我はなりぬる
    • 『古今和歌集』詞書「寛平御時きさいの宮の歌合のうた」。
  • 誰をかもしる人にせむ高砂のも昔のならなくに  
    • 『古今和歌集』。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。