閔子騫
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閔 子騫(びん しけん、紀元前536年 – 紀元前487年)は春秋時代の儒学者。孔子(孔丘)の弟子。名は損(そん)で、子騫は字。魯国出身。
引用
[編集]- 魯の大臣である季氏は閔子騫を己の領土である費の代官にしようとした。閔子騫は[使者に]云った「どうか私のかわりによろしくお断り下さい。もしふたたび私をお召しになるのであれば、きっと
汶水 のほとりに身を隠しましょう。--『論語』雍也第六・七節- 季氏使閔子騫為費宰。閔子騫曰、善為我辭焉。如有復我者、則吾必在汶上矣。
- 汶水は現在の岷江、長江の支流。
- 魯の国は財宝を収める倉庫をつくろうとした。 閔子騫は云った「古い習わしにしたがったらいいのに。なぜ新たに作る必要があるのだろう」--『論語』先進第十一・十三節
- 魯人為長府。閔子騫曰、仍舊貫、如之何。何必改作。
閔子騫に関する引用
[編集]- 孔子の弟子のなかで徳行に優れたものは、顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。--『論語』先進第十一・二節
- 德行、顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。
- 孔子は云った「閔子騫は親孝行だなあ、その父母や弟たちが閔子騫をほめるのを他人が疑わないのももっともだ」
- 子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。--孔子、『論語』先進第十一・四節
- 訳は新注による。閔家の事情に関しては本項郭居敬の句注を参照のこと。宮崎市定らは「人を閒するの言あらず」と読み「他人がその父母や弟たちのことを悪くいわない」と取る。
- 孔子は云った「あの人[閔子騫]はめったにしゃべらないが、口を開けば的を射たことをいう」 --『論語』先進第十一・十三節
- 子曰、夫人不言、言必有中。
- 閔さんはいい人だ。なんで以前は継母に憎まれたのだろう。離縁の車にのせられるまえに継母を留め、兄弟三人が母親をなくし寒さにこごえるのを免れた。--郭居敬『二十四考』「單衣順母」
- 閔氏有賢郎
何曾怨後娘
車前留母在
三子免風霜
- 閔子騫は父親の後妻につらく当たられ、冬に単衣を着せられるなど、ことごとく継母の実子である弟二人と待遇に差をつけられた。それに気づいた父は妻を離縁しようとしたが、閔子騫は、離縁すれば三人が母親なしに寒い思いをする、自分ひとりが寒い思いをして弟二人が暖かくいられるならそれでよいと父親を翻意させた。継母はこれを聞いて悔い、以後は実子同様に子騫をかわいがったという。
- 漢文表記はウィキソース中国語版『二十四考』による。転句は龍谷大本『二十四考詩選』では「尊前留母在」に作る。[1]
- 閔氏有賢郎