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光孝天皇

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

光孝天皇(こうこう てんのう、830年 -887年)は日本の第58代天皇。平安時代初期の人。仁明天皇の子。異称に仁和帝にんなのみかど)、小松帝こまつのみかど)。

和歌

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  • 君がための野にいでて若菜つむわが衣手にはふりつつ 
『古今和歌集』。のち小倉百人一首に採られる。
  • かくしつつとにもかくにも永らへて君がやちよにあふよしもがな
『古今和歌集』賀の部。詞書「仁和の御時、僧正遍昭に七十の賀たまひける時の御歌」。

光孝天皇に関する引用

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  • 大臣の藤原良房の大饗に、[いまだ親王であった]光孝天皇もお出ましになった。むかしは親王たちは必ず大饗に出席されるならわしだったのである。雉の足は必ず大饗に供するところ、どうしたのか、主催者の大臣の前に取り落としてしまった。陪膳人は光孝天皇の膳の雉の足を取って、混乱して大臣に供したところ、どのようにお思いになったのか、光孝天皇は目の前にあった大きな灯を、突然消させておしまいになった。--『大鏡』「太政大臣基経」
    良房のおとどの大饗にや、昔は親王たち、かならず大饗につかせ給ふことにて、わたらせ給へるに、きぎすの足はかならずもる物にてはべるを、いかがしけむ、尊者の御前にとり落してけり。 陪膳する人、親王のおまへのをとりて、惑ひて尊者の御前に据うるを、いかがおぼしめけむ、御前の大殿油を、やをらかいけたせたまひける[1]
    • 陪膳の失態を他の客にみせまいとしたのである。これに感銘を受けた藤原基経の支持によって、光孝天皇は位につくことができた。

外部リンク

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Wikipedia
Wikipedia
ウィキペディアにも光孝天皇の記事があります。
  1. 『大鏡』佐藤球校註、明治書院、1922年、p.36。国立国会図書館近代デジタルライブラリー、コマ番号23。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964404 より2015年10月17日 (土) 11:02 (UTC)取得