大江雲澤
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大江雲澤(おおえ うんたく 1822年〈文政5年〉〜1899年〈明治32年〉) は日本の医家。中津藩御典医家である大江家の五代にあたる。華岡医塾大坂分塾である合水堂に学んだ。帰国後は藩医をつとめ、中津医学校(明治4、1871年設立)の設立にも貢献した。
帰せられるもの
[編集]医則
[編集]- 第一則
医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す- 醫不仁之術欲務為仁
- 第二則
実中に虚を察し、虚中に実を察す 医はなお兵(いくさ)の如し- 実中察虚虚中察実醫猶兵也
- 第三則
病に対して利を図り、名を好み、怪しきをすることなかれ。己を資すに非ずして、天地の造化を助けに及ばず。- 對病勿図利好名為怪
非為己資実助造化之不及
- 對病勿図利好名為怪
- 第四則
寇(あだ)には矛(ほこ)をとり武を奪うを知るも、これを撫安するを知らず。火には水をもってこれにむかうを知るも、火をもって火を制することを知らず。根本を治めて末節を処理し、病因を治めることを忘れず症状に対す。網でなく、魚を取れる人でないと、道を共にするは難し。- 知冠操戈奮武不知撫安之
知火以水嚮之不知以火制火焔
本治標治因治現非忘
筌取魚之士難共言道矣 - 弘化元年(1844年)一月二十五日 大江寛伯容題
- 知冠操戈奮武不知撫安之