徳川家康
表示
とくがわ いえやす、戦国・安土桃山時代から江戸時代初期の武将、征夷大将軍。
- 此城ハ太閤日本の人数を集め石積に被成候、自然の事出来候て鉄炮の玉に事かき候はヽ、本丸天守に金銀入置候、取出し玉に鋳て打れよ、 -- 『慶長年間卜斎記』
- 会津征伐に出陣する際、伏見城を守る鳥居元忠へ与えた指示
- 西ふさかりてあり、今日明ケに参る、 -- 『同上』
- 関ヶ原合戦で江戸を出陣する際に石川家成より、今日が西塞がりであることを伝えられた際の返答
- 敵の方へ、 -- 『同上』
- 西軍出陣の報を聞き、急遽出陣した際に進軍方向を問われた際の返答
仮託・誤って帰着されるもの
[編集]川柳
[編集]- 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
(中略)
なかぬなら鳴まで待よ郭公 大權現様
-- 靜山松浦清『甲子夜話』巻五十三〔八〕(松浦静山著、中村幸彦 中野三敏校訂『甲子夜話』4、東洋文庫 333、平凡社 、昭和53年)
遺訓
[編集]一般には『神君御遺訓』『家康公御遺訓』として知られるが、家康本人のものではなく偽書とされる。
- 人の一生は、重荷を負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず。
- 不自由を常と思えば不足なし。
- 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
- 堪忍は無事長久の基。
- 怒を敵と思え。
- 勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
- 己を責めて、人を責むるな。
- 及ばざるは過ぎたるに勝れり。
自分を責めても人を責めるな