新庄剛志
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新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )は、長崎県下県郡美津島町生まれの元プロ野球選手(外野手)。引退後は、タレント、実業家、商品プロデューサー、画家、地方競馬馬主。
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阪神時代語録 [編集]
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- 「阪神の新庄剛志です。この(レコード大賞の)ステージに上がるのが僕の夢でした」
- 1992年12月、TBS『第34回日本レコード大賞』に川中美幸のエスコート役として出演した際に第一声として。阪神球団広報を通さずに出演したため、球団を大いに慌てさせた。TBSによると、「本人から出演承諾をいただいており、てっきり球団も承認して下さったものと思っていた」とのこと。
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- 「野球に対するセンスがないって見切った」
- 1995年、引退宣言の記者会見の場で。翌々日に撤回し、ファンや記者を唖然とさせた。実は、確執の相手であった藤田平監督を悪者にしたくなかったための苦肉の策の一言であったという。
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- 「父の命には代えられませんから」
- 引退撤回時の一言。かねてから体調が思わしくなかった父の病状が悪化したと母から電話で聞かされたのだが、実はこれは新庄に引退を思いとどまらせるために母が打った策であり、その時当の父親は近所の行きつけの飲み屋で引退撤回の祝杯をあげていた。
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- 「僕は外人になりたいです」
- 1997年シーズン開幕前、阪神ファン激励の集いでファンから「今年は何をがんばりたいですか」と聞かれて。
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- 「ジーンズが似合わなくなるのが嫌だから、下半身は鍛えたくない」
- 記者から「ウエイトトレーニングをしないのか」との質問を受けて。
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- 「僕は盗塁に興味がないんです」
- 1998年秋、就任したばかりの野村克也監督から「なぜ盗塁しないのか」と尋ねられて。
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- 「明日も勝つ!」
- 延長12回ウラ槙原寛己からの敬遠球をサヨナラヒットした1999年6月12日、及び9月10日の試合勝利後のヒーローインタビューにて。しかし、いずれも翌日の試合は敗戦(9月の場合は翌日より12連敗)。日本ハム時代の2004年9月20日(プロ野球ストライキ明けの試合後)にて再度発言。翌日に勝利してこのジンクスは消えたが、この日に古巣・阪神は敗戦したため、一部ファンからは「阪神の負けフラグ」とも言われている。
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- 「守備で打点1」
- 打てなかった時は守備で1点を防ぎ、チームに1点分をもたらすという意気込みから。
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- 「やっと自分にあった球団が見つかりました。その球団は、ニューヨーク・メッツです!」
MLB時代語録 [編集]
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- 「何事につけ目立つ首都のニューヨークに行きたかったから」
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- 「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボクにまかせて」
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- 「両方カンタン!」
- 野球に出るのとCMに出るのどっちが難しい?という問いに答えて。
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- 「あれってミアミ?」
- 移動中、道路標識の「MIAMI」との表示を見て。通訳は「あれはマイアミ」と答えたが、新庄は「でも普通に考えたらミアミか、マイアマイじゃん」と譲らなかった。
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- 「バント? ムリオだね。右打ち? 意味ナシオ」
- この「ムリオ」「意味ナシオ」で流行語大賞を狙うと発言した。
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- 「もう俺、エーペだから」
- 「エーペって何ですか?」と問われ、「知らないの? 英語ペラペラのことだよ。三重じゃ有名!」と言って笑っていた。キャスターが「新庄さん、出身、大阪ですよね?」と質問すると、すかさず「あっ、俺、福岡!」と答えた。
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- 「にがっ!」
- メッツ在籍中、ロッカールームでコーヒーを飲んでいて思わずこう言ったところ、隣にいた黒人選手に「ニガー」と聞き間違えられ殴られたことがある。後に弁明して誤解は解けた。
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- 「俺もアメリカ人だから戦わないと」
- ニューヨークでアメリカ同時多発テロ事件が発生したあとのインタビューで。
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- 「ベストドレッサー賞はメジャーでもらった野球の賞より嬉しい」
- ベストドレッサー賞受賞会見で。
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- 「う、うれしいっ…!!!」
- 2002年5月にマーリンズ戦でMLB日本人選手初の満塁ホームランを打ち、試合後に記者から「イチロー選手よりも先に達成されましたね!」と水を向けられて。
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- 「チームが最後まで(ワイルドカード枠を)争っていたから、個人的なことでチームに迷惑を掛けたくなかったんです」
- 2002年にチームがワイルドカードでプレーオフ進出を決めた直後のシーズン最終戦にて。400打席のインセンティブ契約を結んでいたが、あと6打席足りない状態で6番で先発する新庄へ、試合前にダスティ・ベイカー監督から「何で今まで黙っていたんだ!あと6打席だろ!そしたら今日だって1番に入れたのに!」と詰め寄られたことに対して。最終的に400打席には2打席足りなかったが、この試合で新庄は2度、走者として一塁から果敢に本塁を奪い、打者であったチームメートの若手2人、メジャー初スタメンのコーディ・ランサムと同じくメジャー1年目のランス・フォードは1打点ずつを記録し、2人から「ありがとう、君は僕らのヒーローだ!」とお礼を言われている。
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- 「Movie Star」
- 2003年、新庄が一塁へ出塁すると、一塁手から「来季はどうするんだ?」と声をかけられ、本人は「まだ分からない」とのあとに「ムービースター」ときり返した。全て英語での会話である。一塁付近にマイクが仕掛けられているのを知った上でのネタ発言だというが、日本でもニュースのネタとなった。
日本ハム時代語録 [編集]
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- 「なまら北海道だべさ!」
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- 「メジャーリーグでは英語ばかりで、これでやっと日本語で話ができると思ったら監督が外国人だった」
- 日本ハムへ入団するにあたっての気持ちを聞かれて。
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- 「8番以外ならなんでもいいよ」
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- 「その事には触れないで。思い出したくもない」
- メジャーでの生活を聞かれて。
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- 「知ってる? オレ、背番号23だったんだよ。一番、楽しかったころ。マイナーね」
- マイナーリーグ時代のユニフォームを着たファンに出会って。
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- 「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。ある球団が中心で物事を進ませるセ・リーグにはない、野球くささをパ・リーグは持っている」
- 2004年に起こったプロ野球再編問題の渦中で球界の趨勢が1リーグ制に傾きかけている時、日刊スポーツ誌上で。
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- 「現役選手には居所はあるが、1番辛いのは、裏方さん(ブルペン捕手、バッティングピッチャーも含めたチームスタッフ)。チームあっての裏方さんだから。」
- 同じく球界の趨勢が1リーグ制に傾きかけている時、チームの廃止について、コメントを求められて。
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- 「MVPはボクのものです!!」
- 2004年のオールスターゲーム直前の本拠地最終戦でヒーローインタビューを受け、オールスター出場への意気込みを振られて。
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- 「本当に獲れるとは・・・思ってました!」
- 2004年のオールスターゲームにてMVPを獲得した際のインタビューで。
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- 「これからは、パ・リーグです!!」
- 同じく、2004年のオールスターゲームにてMVPを獲得した際のインタビューで。
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- 「今日のヒーローは僕じゃありません。みんなです!!」
- 2004年9月20日、日本初のプロ野球ストライキ明けの初戦となったダイエー戦(札幌ドーム)にてサヨナラ満塁本塁打(しかし、前の走者を追い越してサヨナラ単打となった)を打ち、お立ち台で。この後、前述の「明日も勝つ!」が飛び出すこととなる。
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- 「夢のメジャーリーガーになるために楽しんでプレーしたかばい!」
- 2004年に日米野球の全日本チームメンバーへ選出された時のコメント。
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- 「2位でいいよ、2位で」
- 2004年シーズンオフ、自主トレの際のインタビューにて、記者から来シーズンへの意気込みを問われて。
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- 「あれでも(肩の強さは)落ちたんですよ」
- 2004年12月放送の『いつみても波瀾万丈』出演時に、肩について聞かれた際に。高校の野球部の同期からは、プロ入り後「お前、肩(の強さが)落ちた?」と言われたという。
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- 「札幌ドームのロッカールームは携帯電話の電波が悪いから悩んでいたが、今度アンテナを付けてくれることになったので残留した」
- 2005年11月に日本ハム残留を発表した記者会見の場で。もちろんこれは冗談で、少し前に道新スポーツにて現役続行が伝えられたときには「(体力的に)あと1年は現役を続けられそうだったから」と語っていた。
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- 「今年の俺のゴールデングラブ賞はおかしい。1年間この賞を心の中で目指して取り組んでいた選手に申し訳ない。来年からは、印象ではなく数字で選んでほしい。そうでないとこの素晴らしい賞の価値がなくなってしまう」
- 2005年にゴールデングラブ賞を受賞した際の発言。この年は故障の影響でシーズンを通して働けず、守備も本人には納得のいくものではなかった。
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- 「監督のことをボロクソに言いますから、監督も僕のことをボロクソに言ってください」
- 阪神監督時代の野村克也は2000年を最後に新庄がFA退団した際に「たったひとりのレギュラー選手がいなくなってしまった」と話したが、再び敵将となった楽天監督時代の野村は2006年の開幕戦試合前に新庄が演出したパフォーマンスショーを見て「あの人は芸能人ですから」とコメント。新庄は日本ハム対楽天を注目カードに仕立て上げるための作戦として、開幕前より野村に対してこう持ちかけていた。
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- 「今日の試合はお前の人生でムチャクチャ大事だから、死ぬ気で打席に立て! このチャンスを逃したら二軍に落ちてクビ」
- 現役引退を自身の胸のうちで決意していた2006年のある試合前に監督室へ出向き、トレイ・ヒルマン監督へ自身の代わりに森本稀哲を先発で使ってほしいと進言し確約を得た上で、森本へこう発破をかけた。森本は「ここしかない」と覚悟を決めたその試合で3安打を放つ活躍を見せ、やがて左翼のレギュラーの座を掴んだ[1]。
- 「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」
- 2006年開幕直後の4月18日、本塁打を打った直後に球団広報を通じて発表していた「(ホームラン)打法」の発表で引退を表明。
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- 「ええ。今日、ヒーローインタビューという最高の舞台で報告したいことがあります。タイガースで11年、アメリカで3年、日本ハムで3年…。今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」
- 同日オリックス戦(東京ドーム)にてヒーローインタビューで。
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- 「MVPですか?今年はもう無理ですね。MBPぐらいかな、Most Bakushou(爆笑) Player。爆笑取ってきます」
- 2006年のオールスターゲーム直前の試合でヒーローインタビューを受け、オールスター出場への意気込みを振られて。
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- 「NEVER MIND WHATEVER I DO!FAN IS MY TREASURE.」
- 2006年のオールスターゲームで新庄が装着している電光掲示板付きベルトに流れたファンへのメッセージ。「ほっとけ、俺の人生だ。ファンは俺の宝物。」という意味。本来考えていたパフォーマンスは神宮球場の上空からヘリコプターで降りてくるというものであったが、国からの許可が下りず断念した。
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- 「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!」
- 引退セレモニーでユニフォームの下に着ていたシャツの背中に書かれていたファンへのメッセージ。
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- 「残りわずかな野球人生 明るく楽しく 白球を追い掛ける事を 今日この日 みんなに約束します」
- 引退セレモニーでオーロラビジョンに映し出されたファンへのメッセージ。ポストシーズンへの意気込みも兼ねている。
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- 「名古屋の方には申し訳ないけれど、日本シリーズは甲子園でやりたい」
- 古巣である阪神に対する強い思い入れから、2006年のレギュラーシーズン1位通過会見で。この発言に対しては「ちゃんとした成績(日本シリーズ進出)を残してから言え」「まだ日本ハムの優勝が決まったわけでもないのに失礼だ」との批判も起きた。結局、日本ハムはプレーオフを全勝で勝ち抜いてリーグ優勝、日本シリーズ進出を決めたが、阪神のシリーズ進出はかなわなかった。
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- 「北海道に来て良かった。メジャーとか、いろんなとこまわったけど一番北海道が自分に合っていた」
- リーグ優勝時の祝勝会での発言。
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- 「俺、毎日が日本シリーズなら4割打てるわ〜」
- 日本シリーズ中の発言。レギュラーシーズンでは観客の数が多くなればなるほど打率がアップしていた。週刊ベースボールでは、札幌ドームで観客が4万人を超えた日の打率は4割に達すると報じられていた。
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- 「この(優勝)記者会見カタい。もっと明るくいきましょうよ、ね? 淡口さん」
- 日本シリーズ制覇後の会見での発言。しんみりした会見場の雰囲気を自ら和ませるために言い放った一言、全く関係ない場所にいた淡口憲治へ突然話が振られて場内が笑いに包まれた。
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- 「いやあ、(強運を)持ってるわ、俺。このマンガみたいなストーリー。出来すぎって思いません? 今後、体に気をつけたいと思います」
- 同じく日本シリーズ制覇後の会見での発言。引退を宣言した年にリーグ優勝、さらには本拠地札幌ドームでの日本シリーズ制覇という展開を自ら比喩した。さらにシリーズ前の会見では「引退の年に日本一になったら死んじゃいます、僕」と発言していた。
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- 「引退後に行ってみたい所は網走刑務所。理由は有名だから」
- 日本シリーズ制覇翌日に札幌ドームで行われた引退記者会見にて、「北海道で、今後行ってみたい場所は?」という質問に対して。
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- 「北海道で種を蒔き、フロント、監督、コーチ、選手で毎日、一生懸命水を与え…やっと3年目にして花が咲かせることができれたんじゃないかな、と。その花の色はとても美しくて、逞しい金の…金色の花が咲けたことに、凄く…嬉しく思ってます」
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- 「俺の華麗な守備を魅せられなくなるのは残念だけど、引退の年にゴールデングラブに選ばれるなんて(強運を)持ってるわ。日本ハムがこれからも最強の外野陣をつくっていってくれる事を信じて外から応援しとくばい!!」
- 10度目のゴールデングラブ賞受賞が決まった時のコメント。
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- 「よかったじゃん」
- 弟分の森本稀哲へ背番号1が受け継がれることが決まり、森本から報告のメールを受けた際の返信。
現役引退後語録 [編集]
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- 「新庄えらい男」
- インテリジェンス社「DODA」のCM出演契約を結んだ時の会見でのコメント。現役引退後最初のテレビCMで、自らの名刺には「インテリジェンス営業本部・スーパーエグゼクティブオフィサー」(SEO)という肩書きが用意されたが、「まぁ、判りやすくいえば新庄(S)えらい(E)男(O)ですか」とコメントした。
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- 「よろおね」
- 「よろしくお願いします」の略。「DODA」のCMにて、このセリフとともに名刺を差し出すと同時に必要以上に体をよじりながら上体を乗り出すなどの演技を披露した。
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- 「「新庄剛志」はもうあの瞬間(日本シリーズ第5戦)に終わったんだ。だからもうサインは打ち止めなんだよね」
- 元チームメイトの岩本勉との電話で。実際、日本ハム時代に書いていた筆記体でのサインを引退後は書かず、平仮名で「しんじょう」と小さく書いている。これは、ダイドードリンコ・D-1コーヒーのCMでも確認できる。
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- 「いつも松中君と僕との戦いだった」
- 2008年10月20日放送の日本テレビ『しゃべくり007初回拡大SP』に出演した際の「現役で今、一番上手いと思うプロ野球選手は?」との質問に対して、打者では松中信彦と答えた。松中は打球方向がよめないどこにでも打てる打者であり、中堅で守っていて左打者の松中の外角に投球がいった瞬間に左翼方向に2歩ぐらいスタートを切るが、そこへ逆方向の右中間に打たれて抜かれる(ヒットにされる)とのこと。
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- 「今度僕を呼ぶときには、300Km/hを用意してください」
- 2008年12月24日放送のテレビ朝日『ナニコレ珍百景SP』にて、北九州市の三荻野バッティングセンターにある世界最速230Km/hバッティングマシンに挑戦し、初来店で打ち返すことに成功。店からの帰り際にこうコメントした。
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- 「好きにすれば?」
- 2010年のオフに、海外FA権を行使した森本稀哲が、日本ハム残留か横浜移籍かで悩んでいた末、森本は新庄にメールを送信。新庄からの返信はシンプルだったが、このシンプルな返信で森本は横浜移籍を決断したという。
新庄剛志への言及 [編集]
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- 「僕はヒットに出来るボールを、ヒットになる打ちかたで打っているだけ。ヒットに出来そうにないボールを、毎回違うフォームで打っている新庄さんこそ本当の天才です。」 -- イチロー
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- 「SHINJOY」 -- 『ニューヨークタイムス』
- 連日楽しそうにプレーする新庄を報道した際の同紙の見出し。「新庄(SHINJO)」と「楽しむ(ENJOY)」を組み合わせた造語。
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- 「ナショナルリーグではアンドリュー・ジョーンズに次いで上手いセンター」 -- ボビー・バレンタイン
- 「新庄ほど常にファンのことを考え、楽しんでもらおうと思っている選手はいない。日本プロ野球界において、たった一人で球場を満員にできる唯一の選手だ」-- 水島新司