トーク:釈迦

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出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

大胆な分割がされていますが、三つの点で疑問があります。

  • ウィキクォートの方針Wikiquote:記事名の付け方に沿っているか疑わしいこと
  • 分割の妥当性が現在のところでは疑わしいこと
    • ここでいう妥当性は、
      1. このような切り方が事柄に沿って適切なのか、ということと、さらに
      2. 適切だとしても、現在の分量では不適切で、読者に不便を強いることになる/検索エンジンで探しにくくなる、などの問題があるのではないのか
    • ということです。

またできれば、ページ建てはウィキクォート全体の編集方針ともからむことですので、事前にWikiquote:井戸端やこのノートページを使って相談してほしかったなとも思います。 みなさんにご意見をお伺いして、調べやすく読みやすいウィキクォートにできればと思います。--Aphaea* 2005年1月22日 (土) 15:44 (UTC)[返信]

見かけたのでコメントしておきます。まず教典からの引用を釈迦の発言だとしている時点で学術的見知からに問題があると思います。大乗教典に関してはまず釈迦の発言ではないでしょうし、上座部の教典に関しても釈迦自身の説法ではなくほとんどが後生の加筆であると言う見解が一般的です。百歩譲って釈迦の発言だと仮定しても普通は「○○経」と来てそこに引用が書かれているべきであると思います。とくに大乗仏典なんかはそうです。よってこの形での分割は不適切だと思います。また、「人間、覚者としての釈迦」「神、如来としての釈迦」というのも記事名の付け方に反していると言えます。

私が考える案としては、

  1. (上座部の教典の言葉は釈迦の言葉であると主張する立場の人も居ますので)上座部の経に関するものは直接釈迦に書き、大乗仏典は教典ごとに分割する。あるいは、
  2. すべて教典ごとにわけてしまい釈迦はその教典ページへの誘導ページとして利用する。

の二つが考えられます。如何でしょうか。--อนันต์ (あなん) 2005年1月22日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

編集者です。軽率な書きこみ、お許しを。 えー、私はあなんさんの案2に賛成です。一番中立的になるのでは?広住海居士 2005年1月23日 (日) 14:13 (UTC)[返信]

すみません、あまりよく知らないものが横から口を挟む形になるかもしれませんが、無知なものの戯言とご容赦ください。
今のところ、ウィキクォートにあるページを見ると、「人物名」、「書名」あるいはなんらかの「テーマ」がタイトルであるようです。また、「人物」と「テーマ」などで両方に同じクォートが収録されると言ったこともなされています。
そう考えると、釈迦について(私はよくわかっていませんが)各「経典」それぞれで独立のページを立てることは勿論よいことだと思いますが、釈迦を誘導のためだけの使用に留めるのでなく、いくつかの特徴的なクォートも(個別の経典のページと一部に重複があっても)収録する形で良いのではないかなと思いました。
また、「覚者」・「如来」などをテーマとするページがあっても面白いのかもしれないな、と思いました。--Nomad 2005年1月23日 (日) 20:02 (UTC)[返信]

削除依頼[編集]

2005年2月5日 (土) 02:33 210.199.90.92 による編集ですが、ダンマパダの訳文が追加されました。冒頭第1節を調べたところ、中村元訳と完全一致しました。すでに中村氏はおなくなりになっており、あるいは著作権者の方の投稿であることも考えられますが、これは岩波書店から出ているものであるため、GFDL でのリリースはおそらく岩波書店の版権と抵触するものと思われます。ですので削除依頼に出したいと思います。

特定版の削除でよいか、それとも完全削除にするかどうかは、みなさまとの議論のなかで考えていきたいと思います。

--Aphaia | WQ2翻訳中 | 会話 2005年2月5日 (土) 06:24 (UTC)[返信]