山上憶良

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山上憶良[編集]

7世紀中頃~8世紀前の日本の詩人。

山上憶良からの引用[編集]

萬葉集巻第五 貧窮問答歌[編集]

  • 交じり 降る夜の 雨交じり 降る夜は 術も無く 寒くしあれば 堅塩を とりつつしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る
    天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて 鵺鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
    風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須須呂比弖 之○*1夫可比 鼻○*2之之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞弖泣良牟 此時者 伊可尓之都都古可 汝代者和多流
    天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆爾 比等等波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和和氣佐我礼流 可可布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻○*3 來立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道 -- -- 『萬葉集』巻の五の八九二
  • *1 叵 匚構えに口叵
  • *2 毗 田比毗
  • *3 手偏に〒(亍)扌亍
  • 反歌 世の中を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
    • 世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆『萬葉集』巻の五の八九三

萬葉集巻第五 沈痾自哀文[編集]

  • 竊かに以るに、朝夕山野に佃食する者すら、猶灾害無くして世を度ることを得 謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす 謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。况乎我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し 謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたること鮮し 謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎媿しきかも、我何なる罪を犯してか此の重疾に遭へる 謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来、年月稍多し 謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし 二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足の驢に比ふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累がるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、龜卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しは妄なれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、投るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国の譙の人なり。若し病結積れ沈重れる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして差ゆ。件の医を追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳きて百病を抄採り、尋ねて膏肓の隩に達り 肓は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むること可からず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと欲 謂ふは、晉の景公疾み、秦の医緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ 志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活ることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、必も此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食を節む」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其の当に死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽劓期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死は畏るべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と為む。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだに直せず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿なり」と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。慮らむと欲へば慮り絶ゆ、何に由りてか慮らむ。惟以みれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸く悉嗟歎く。歳月競ひ流れ、昼夜息はず 曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵し動ぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、劇に北邙の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」。若夫群生品類、皆尽くること有る身を以て、並に窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を怡び、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、安ぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、頓に此の病を除き、頼に平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや 已に上に見ゆ。
    竊以 朝夕佃食山野者 猶無灾害而得度世 謂常執弓箭不避六齋 所値禽獣不論大小孕及不孕並皆煞食 以此為業者也 晝夜釣漁河海者 尚有慶福而全経俗 謂漁夫潜女各有所勤 男者手把竹竿能釣波浪之上 女者腰帶鑿篭潜採深潭之底者也 况乎我従胎生迄于今日 自有修善之志 曽無作悪之心 謂聞諸悪莫作諸善奉行之教也 所以礼拜三寳 無日不勤 毎日誦経發露懺悔也 敬重百神 鮮夜有闕 謂敬拜天地諸神等也 嗟乎媿哉 我犯何罪遭此重疾 謂未知過去所造之罪若是現前所犯之過 無犯罪過何獲此病乎 初沈痾已来 年月稍多 謂経十餘年也 是時年七十有四 鬢髪斑白 筋力尩羸 不但年老復加斯病 諺曰 痛瘡潅塩 短材截端 此之謂也 四支不動 百節皆疼 身體太重 猶負鈞石 廿四銖為一兩 十六兩爲一斤 卅斤為一鈞 四鈞為一石 合一百廿斤也 懸布欲立 如折翼之鳥 倚杖且歩 此跛足之驢 吾以身已穿俗 心亦累塵 欲知禍之所伏 祟之所隠 龜卜之門 巫祝之室 無不徃問 若實若妄 随其所教 奉幣帛 無不祈禱 然而弥有増苦 曽無減差 吾聞 前代多有良醫 救療蒼生病患 至若楡柎扁鵲華他秦和緩葛稚川陶隠居張仲景等 皆是在世良醫無不除愈也 扁鵲姓秦字越人 渤海郡人也 割胸採心易而置之投以神藥即寤如平也 華他字元化 沛國譙人也 若有病結積沈重在内者 刳腸取病縫復摩膏四五日差之 追望件醫 非敢所及 若逢聖醫神藥者 仰願 割刳五蔵抄探百病 尋達膏肓之隩處 肓鬲也 心下為膏 攻之不可 達之不及 藥不至焉 欲顯二竪之逃匿 謂晉景公疾秦醫緩視而還者可謂為鬼所煞也 命根既盡 終其天年 尚為哀 聖人賢人者一切含霊誰免此道乎 何况生録未半為鬼枉煞 顏色壮年 為病横困者乎 在世大患 孰甚于此 志恠記云 廣平前大守北海徐玄方之女 年十八歳而死 其霊謂馮馬子曰 案我生録當壽八十餘歳 今為妖鬼所枉煞已経四年 此遇馮馬子乃得更活是也 内教云瞻浮州人壽百二十歳 謹案此數非必不得過此 故壽延経云 有比丘名曰難達 臨命終時詣佛請壽 則延十八年 但善為者天地相畢 其壽夭者業報所招 随其脩短而為半也 未盈斯笇而遄死去 故曰未半也 任徴君曰 病従口入 故君子節其飲食 由斯言之 人遇疾病不必妖鬼 夫醫方諸家之廣説 飲食禁忌之厚訓 知易行難之鈍情 三者盈目滿耳由来久矣 抱朴子曰 人但不知其當死之日 故不憂耳 若誠知羽劓可得延期者 必将為之 以此而觀 乃知我病盖斯飲食所招而不能自治者乎 帛公略説曰 伏思自勵以斯長生 〃可貪也 死可畏也 天地之大徳曰生 故死人不及生鼠 雖為王侯 一日絶氣 積金如山 誰為富哉 威勢如海 誰為貴哉 遊仙窟曰 九泉下人 一錢不直 孔子曰 受之於天 不可變易者形也 受之於命 不可請益者壽也 見鬼谷先生相人書 故知生之極貴命之至重 欲言〃窮 何以言之 欲慮〃絶 何由慮之 惟以人無賢愚 世無古今 咸悉嗟歎 歳月競流 晝夜不息 曽子曰 徃而不反者年也 宣尼臨川之歎亦是矣也 老疾相催 朝夕侵動 一代懽樂未盡席前 魏文惜時賢詩曰 未盡西苑夜劇作北邙塵也 千年愁苦更継坐後 古詩云 人生不滿百何懐千年憂矣 若夫群生品類 莫不皆以有盡之身並求無窮之命 所以道人方士 自負丹経入於名山而合藥之者 養性怡神以求長生 抱朴子曰 神農云 百病不愈 安得長生 帛公又曰 生好物也 死悪物也 若不幸而不得長生者 猶以生涯無病患者為福大哉 今吾為病見悩不得臥坐 向東向西莫知所為 無福至甚惣集于我 人願天従 如有實者 仰願 頓除此病頼得如平 以鼠為喩 豈不愧乎 已見上也

ほか『万葉集』より[編集]

山上臣憶良、大唐に在りし時、本郷を憶ひて作れる歌

  • いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴の御津(みつ)の浜松待ち恋ぬらむ
    去來子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武 -- 巻一・63
    山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌

山上憶良臣、宴を罷る歌

  • 憶良らは 今は罷らむ 泣くらむ そを負ふも 吾を待つらむそ
    憶良等者 今者將罷 子將哭 其彼母毛 吾乎將待曽 -- 『万葉集』巻三・337

山上臣憶良、子等を思ふ歌

  • 食めば 子供思ほゆ 食めば まして偲はゆ 何処より 来たりしものそ 目交に もとな懸かりて 安眠し寝さぬ
    宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 -- 『万葉集』巻五・802

反歌

  • (しろがね)も(くがね)も玉も何ぜむに 勝れる子に及かめやも
    銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 -- 『万葉集』巻五・803

山上臣憶良、痾(やまひ)に沈みし時の歌

  • 士(をのこ)やも空しかるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして
    士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而 -- 『万葉集』巻六・978

山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首

  • 秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花
  • 萩の花をばな葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
    山上憶良詠秋野花二首
    秋野爾咲有花乎指折可伎數者七種花 -- 『萬葉集』巻八・1537
    芽之花乎花葛花瞿麥之花姫部志又藤袴朝貌之花 -- 『萬葉集』巻八・1538

山上憶良頓首謹上、好去好来の歌一首、反歌二首

  • 神代より言ひ傳て來らく そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり 今の世の人もことごと 目の前に見たり知りたり 人多に滿ちてはあれども 高光る日の朝廷(みかど) 神ながら愛(めで)の盛りに 天の下奏し給ひて 勅旨(おほみこと)戴き持ちて 唐(もろこし)の遠き境に 遣はされ罷りいませ 海原の邊にも沖にも 神留り領きいます 諸の大御神等 船舳(ふなのへ)に導き申し 天地の大御神たち 倭の大國靈 ひさかたの天の御虚ゆ 天がけり見渡し給ひ 事了(をは)り還らむ日には また更に大御神たち 船の舳に御手打ち懸けて 墨縄を延(は)へたるごとく あちかをし値嘉の岬より 大伴の御津の濱びに 直泊(ただはて)に御船は泊(は)てむ つつみなく幸くいまして 早歸りませ
    神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理… --山上憶良『萬葉集』 巻五・894

反歌

  • 大伴の 御津の松原 かき掃きて 吾立ち待たむ 早歸りませ
    大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢 --『万葉集』巻五・895
  • 難波津に 御船泊てぬと 聞え來ば 紐解き放けて 立走りせむ
    難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武 --『万葉集』巻五・896