後白河天皇

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後白河天皇(ごしらかわてんのう、1127年 - 1192年、在位:1155年 - 1158年)は平安時代末期の第77代天皇。諱は雅仁(まさひと)。鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年に亘り院政を行った。和歌は不得手だったが今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど文化的にも大きな足跡を残した。 

引用[編集]

  • 十歳余りの時から今様を愛好して、稽古を怠けることはなかった。昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かした。声が出なくなったことは三回あり、その内二回は喉が腫れて湯や水を通すのもつらいほどだった。待賢門院が亡くなって五十日を過ぎた頃、崇徳院が同じ御所に住むように仰せられた。あまりに近くで遠慮もあったが、今様が好きでたまらなかったので前と同じように毎夜歌った。鳥羽殿にいた頃は五十日ほど歌い明かし、東三条殿では船に乗って人を集めて四十日余り、日の出まで毎夜音楽の遊びをした。
    • 『梁塵秘抄口伝集』(現代語訳はウィキペディア日本語版後白河天皇による)

後白河天皇に関する引用[編集]

  • 文にあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし。--崇徳天皇
    • 『平治物語』に記録される(ウィキペディア日本語版後白河天皇による)。

後白河天皇に関する引用であるか議論のあるもの[編集]

  • 日本第一の大天狗は余人の事に非ず候か。 --源頼朝高階泰経宛書簡。
    • 従来後白河法皇を指したものとされてきたが、書簡の宛先である院近臣の泰経自身を指したと解する説があり、結論をみていない。ウィキペディア日本語版高階泰経も参照。