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野村克也

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
南海選手時代(1959年1月)

野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 - 2020年2月11日)は、京都府出身の元プロ野球選手捕手)・監督野球解説者

現役時代は1954年 - 1980年の27年にわたり、南海ホークスロッテオリオンズ西武ライオンズでプレーした。

引退後はヤクルトスワローズ阪神タイガース社会人野球シダックス野球部東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。京丹後市名誉市民。2010年からはサンケイスポーツ野球評論家

キャッチフレーズの名手として知られ、多くの語録を残している。

語録

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王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草
1975年の日本ハム戦(後楽園球場)での600号達成時の談話で。同時期にセ・リーグで活躍していた大人気の巨人長嶋茂雄王貞治に比べると、パ・リーグ・南海・野村は世間から注目されることは少なった。600号自体は前年に王が達成しており、野村の600号の注目度が上がらないことは野村も自覚しており、なんとかマスコミに1面トップで扱ってもらうには、なにか良い談話を発表しなければ無理だと思い、1ヶ月前から談話を考えていた。また600号達成時には当時の野村としては珍しくベースランニング中にジャンプして喜びを表現していた。
この言葉は、野村現役時代の代表的発言となり、以後、「月見草」が野村の代名詞となった。しかし西鉄で活躍した仰木彬が「野村が月見草なら、俺は一体何なんだ」と指摘しているように、実際には何かと目立ちたがりな野村を月見草と呼ぶには疑問がある。
なお、野村と両人は親交があり、3人で旅行へ行ったこともあるという。
選手には4種類いる。①不真面目な優等生。②真面目な優等生。③真面目な劣等生。④不真面目な劣等生[1]
監督として選手をこのように分類している。優劣は順による。監督として最も扱いやすいのは②だが、いざというときに頼りになるのはなぜか①だという。①の典型例として江夏豊落合博満を挙げている。一方で、最も多いのは③だという。長嶋一茂も③に分類している。監督としては多数の③と少数の②で何とかやりくりしているという。なお、④については論外としている。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
この言葉は野村の創作ではなく、松浦静山剣術書『剣談』からの引用である。「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある」という意味。試合に勝つためには、負ける要素が何だったか、どうしたらその要素を消せるかを考えて行く必要がある。また、もし勝ち試合であっても、その中には負けに繋がることを犯している可能性があり、その場合はたとえ試合に勝ったからと言って、その犯したことを看過してはならない。
先入観は罪、偏見は悪
初めの勝ちは、嘘の勝ち
1992年、森祇晶監督率いる西武との日本シリーズ第1戦勝利後のインタビューで。野村は短期決戦では初戦を重視しており、1973年の阪急とのプレーオフ、監督として出場した5回の日本シリーズはいずれも初戦に勝利している。一方の森は当時から第2戦に重きをおいた発言をしており(この年の日本シリーズでも、シーズンの成績が良かった郭泰源石井丈裕ではなく、渡辺久信を第1戦の先発としている)、この発言は森の第2戦重視主義を意識した発言といえよう。
なお、野村は森と親交があり、監督としての立場を離れれば、野村が「一晩中、彼と野球の話をしてますよ」と言うぐらいの仲である。巨人V9時代には日本シリーズ対策として、森がパ・リーグ選手の情報を聞きに野村の家をよく訪問しており、その親密ぶりは「野村の家には、森の歯ブラシがある」と称されるほどだった。
戦いに勝つは易し、勝ちを守るは難し
1993年、セ・リーグ優勝を決めた直後、神宮球場での監督インタビュー締めの言葉。この年は名言格言・故事成句などを引用したコメントが多い。
人生の最大の敵、それは「鈍感」である
ヤクルト監督時代に時折発していた言葉。
これが楽天野球です。安打多くして得点少なし
2008年4月30日、オリックス戦終了後のコメント。
強いチームは接戦で勝ち、負ける時はボロ負け。弱いチームはボロ勝ちし、接戦で負ける。
無視されて三流、称賛されて二流、非難されて一流
選手への接し方をレベルに合わせて変える。要求が高くなるほど言葉も厳しくなり、非難する選手には、最大級の評価をした。
念ずれば花開く 
サイン色紙に書き入れるほどの座右の銘
マー君、神の子、不思議な子
田中将大が楽天入団1年目の2007年8月3日、4回5失点しながら勝利投手になり、神懸かり的な力に驚く。
Wikipedia
Wikipedia
ウィキペディアにも野村克也の記事があります。


脚注

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