Wikiquote・トーク:著作権の保護されている著述家

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
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日本法とアメリカ法の規定が違う場合に、どちらが適応されるべきか。というのを明確にしておく必要を感じました。というのは、日本法では著作権は一般に作者の死後50年まで保護されますが(映画など例外あり)、アメリカ法では現在、ほとんどのものについて作者の死後70年だからです。

日本人の発言で、おそらくは日本人の投稿者によって投稿され、日本語でかかれ(これは本プロジェクトではすべてのコンテンツが原則そうなのですが)したがって日本人を対象とする、こうしたものに米国法が適応されるとする根拠はかなり薄いように思います。一方で、発言が外国人のものだったり、投稿者が外国籍をもっていたり、日本国外に在住している場合にはどうなるのか。その場合でも日本法で許されているのでよいのだといっていいのかということは明確にしておく必要があるように思います。

フランス語プロジェクトで活躍しておられる、弁護士のJ=P.Soufronさんからは、一般に関係者が多国間に渡る私的紛争では国ごとの管轄権をいうに際し「どこで」行われたかを裁判所は重視する、ネット上の場合はコンテンツがどの言語で書かれたかがひとつ大きな判断基準になる、といわれました。ただし、権利を侵害された人の国籍がどこなのかということも問題になりうるといわれました。ですのでアメリカ合衆国あるいはドイツ国籍(ともに文学の著作物の場合死後70年)の権利者が、著作者の死後50年は経過したが、70年は経過していないものからの引用についてクレームをつけるということはありえることだと考えます。とくにドイツなどの場合が問題となりえます。アメリカならまだフェアユースの範疇であるという反論も可能ですが、ドイツはフェアユースをみとめておらず、かつ日本法と同じく引用には文脈上の必要性を要求します。それで、方針にはいくつかの可能性があるように考えます。たとえば

  • 著作者の死後50年たったものは、日本法に基づきPDである。なので削除する必要はない。コンテンツとして積極的に受け入れる(属地主義により日本国内では、他国でPDでないものも日本法が許すならPDとして使用できる、ときいています)。財団からの削除依頼があっても、原則としてまず反論を試みる。
  • コミュニティの方針としては一般に日本法の規定によるPDを受け入れるが、米国法に基づき財団の個別の指示があれば、そのような投稿を削除することに異を唱えない。死後70年たっていない場合、サーバ設置国の法律に触れるため、(財団に)削除を求められることはありえる。しかし投稿者は日本法を遵守している限り、責任を問われることはない。
  • 死後70年たっていない場合、一律にPDでないものとして投稿を自粛する。
  • その他

などです。これはそれぞれ排他的です。 私個人としては、法にかなった方針をもつことがプロジェクトの成功の第一の基盤だと考えますが、一方で過度に自粛することも好ましくないと思っています。ですので、法的な見地から妥当な方針をとることを最優先にし、可能性が複数あるところではコンテンツの発展に寄与しやすい解釈を取ることができるといいなと思います。ですがわたくし自身は法律には詳しくありません。みなさまのお知恵を拝借できれば幸いです。--Aphaia | WQ2翻訳中 | 会話 2005年6月25日 (土) 21:55 (UTC)

いわゆる知的財産権の属地主義と国際私法との関係の問題は学説も多岐にわたり非常にややこしいことになっているのですが、僕の理解している範囲で考えてみます。(少々難解な話になってしまいますが。。)
国際的な通説とされている立場は、著作権の属地的効力(ある国の領域内でのみ効力を持つ)を前提に、ベルヌ条約5条2項が「利用行為地法」の適用を規定していると考えています。この利用行為地とは、著作物が現実に利用されて、その利用について保護を与えることが必要とされている地(領域)のことです。
そこで次に、インターネットによって著作物がやり取りされる時に「利用行為」とは何かということが問題となるわけですが、これについては、著作物をサーバ上に複製する行為と、それと同時に送信可能化し、そして現実に公衆送信する行為が「利用行為」であると考えられています。
したがって、通説的な考えからは、サーバ上へ複製し送信するという行為が行われている地、すなわち「発信地」(発信国)が利用行為地であるという帰結が導かれることになります。
ですがこれを頑なに貫き通すと、サーバが著作権の保護が弱い国に置かれている場合に「コピーライトヘイブン」の問題が生じるため、この考え方は修正するべきではないかという批判が有力に唱えられているのが現状です。
そこでこれを批判する有力説は、著作権の属地的効果という原則から出発するのではなく、国際私法的なアプローチで問題を処理できないかと試みます。
そしてベルヌ条約の同じ条文に抵触法のルールを読み込んで、「保護が要求される同盟国」とは著作権侵害という不法行為によって損害結果が発生した「損害発生地」のことだと解釈し、そしてそれはサーバから送信された著作物が受信される「受信地」(受信国)であると捉えます。
理論構成はどうあれ、要するに発信国法によるという通説の結論が妥当でないので、受信国法だと考えるわけです。
ですが、インターネットの情報は世界各国で受信されるので、この考えを推し進めるのであれば、世界中の著作権法を考慮しないといけないという非現実的な事態が生じます。
というところで、発信国法主義もまずいし、受信国法主義もまずいし、どうしたものか、というのが現在の学説の陥っているジレンマだと言ってよいでしょう。
なのでこういうルールを考える時にこれが最適だというような断言はできないのですが、少なくとも発信国法と受信国法の両方を考えておけば、比較的安心であるとは言って良さそうです。
そこで発信国と受信国とはそれぞれどこであるのかを考えないといけませんが、発信国についてはサーバ所在地であるアメリカ合衆国であるといえるでしょう。(もっとも、世界中にキャッシュサーバが広がっている場合にアメリカ合衆国だけを発信国と考えてよいのかという問題がありますが、その場合でも財団が存在し、管理しているアメリカ合衆国のサーバがやはり主要なサーバであるといえると思います。)
次に受信国ですが、これは先ほど述べたように世界各国ということがありえます。しかし「読者の大半が日本国内に居住する日本人であるという想定のもとに」日本に限定するという現在の草案の判断を支持したいと思います。
というのは、公衆送信と言っても、それがある特定の層を想定して送信しているのであれば、受信するのも専らその特定の層に限られるだろうと考えられるからです。(田村善之『著作権法概説』〔第2版〕568頁)
また日本の裁判例ですが、MP3ファイルの共有についてサービス提供会社である日本MMOが訴えられたファイルローグ事件の控訴審判決(東京高裁平成17年3月31日判決、平成16(ネ)405平成16(ネ)466)では、日本MMO(一審被告)が、「サービスを提供していたサーバはカナダにあるのでカナダ法を適用すべきだ(そしてカナダ著作権法には送信可能化権の規定はないので、問題となっている送信可能化は違法ではない)」というようなことを言っているのに対し、裁判所は「日本MMOが日本法人であり、運営していたサイトが日本語で記述されており、ユーザが使用していたクライアントソフトも日本語で記述されていることから、ファイルの送受信のほとんどは日本国内で行われていると認められる」とし、また「サーバがカナダにあるといっても、サービスを稼動・停止させる決定は日本MMOが行える」と続け、「以上からサーバはカナダにあるものの、サービスによる著作権侵害は実質的に日本国内で行われたものということができる(なので日本法が適用される)」と判断しています。(註:鉤括弧内は判決文そのままではなく、それを分かりやすく書き直したものです。)
以上から、さしあたりアメリカ法と日本法を考慮すれば良いというのが私見ですが、これに基づいて冒頭の「日本法とアメリカ法の規定が違う場合に、どちらが適応されるべきか。」という疑問に答えるなら、これはどちらか片方を選択的に適用するような問題ではなく、両方を重畳的に適用すべき問題ではないかと思います。
つまりアメリカ法と日本法を考慮すると言った以上、その両方で合法となるような運用が行われるべきであると思います。
従って、「死後70年たっていない場合、一律にPDでないものとして投稿を自粛する。」という方向での運営が(一応の安心ということを重視するならば)望ましいのではないかと個人的には考えます。
というところまでを前提とした上で、Aphaiaさんの疑問は、でも本当にアメリカ法を考慮する必要があるのか、という点にあるのだと思います。
これはもっともな意見で、日本人が運営し、日本語で情報を提供し、対象とする閲覧者層もほとんど日本人に限られるというのに、ただ単にサーバがアメリカにあるというだけでアメリカ法に服さないといけないのは奇妙に思われます。
ですが、アメリカに所在する財団が主導するプロジェクトのひとつであること、他言語で展開され相互に交流しており日本語版だけで独立しているわけではないこと、権利を侵害されたとする人にとっては個別の匿名ユーザよりも財団に責任を問うのが容易であることなどを考慮すると、一概に「単にサーバがアメリカにある」というだけではないのかなとも思います。
そして冒頭で述べたように現在の通説からするとサーバ所在地であるアメリカ法こそが適用される可能性が高いこともあり、これを考慮しないという判断をするのには躊躇せざるを得ません。
(これがコンテンツの発展に寄与しない解釈であることは明らかですが、僕の知識で考えるとどうしてもこの結論になってしまいます。誰か詳しい方が説得力を持って反論してくださると良いのですが。。)Carbuncle 2005年6月28日 (火) 19:08 (UTC)
詳細なご説明をありがとうございます。発信国は米国、受信国は日本とみなして、この2国の法律を考慮する、ということですね(これは「Project:著作権」にそのまま書いたほうがいいようなきもしました)。
ひとつ疑問があるのですが、英語版ウィキクォートではフェアユースでそれこそ2005年に放送が開始されたTV番組などからも盛大に引用しています(PDを原則とするウィキソースに対して、著作権の消尽していない現代文学からの抜粋を作ることをプロジェクトのひとつの大きな柱にしようとの提案が出るくらいです)。そこで
  • 死後50年未満または生存中の著作者から:原則として不可(日本法で不可、ただしアメリカ法からはFair use)
  • 死後50年以上70年未満たっている著作者から:日本法からはPDでOK、アメリカ法からはFair useによる引用とみなしてやはりOK
死後70年以上たっている著作者から:日本法からもアメリカ法からもPD、問題なくOK

というのはいかがでしょうか。。苦しいかな。

--Aphaia | WQ2翻訳中 | 会話 2005年6月28日 (火) 21:15 (UTC)
アメリカでは1982年以後の作品は自由に使わせないようにする模様[1]

ですのでその解釈で大丈夫だと思います。アメリカ著作権法に盲目的に従うと動物保護団体の方々(主にネズミ)の思うがままになります為仕方のないことだと思います。かの国にて、ほかに保護せねばならぬ物はいくらでもあろうに。午後紅茶 2005年6月29日 (水) 09:26 (UTC)

政治と著作権[編集]

  • 昭和天皇を投稿したいのですが、著作権上はどうなるのでしょうか、いつまで可能か、どの程度まで可能かを知っている方教えてください。
  1. 君主として国会発言と玉音放送は記入可能。
  2. 1945年8月15日正午(玉音放送)まで君主=政治家として記入可能であるがそれ以降は不可
  3. 亡くなって50年経ってないので記入不可能

御前会議や二二六事件のときの発言、玉音放送を記入したいと思います。発言は無理だと私も思いますが念のため午後紅茶 2005年7月2日 (土) 13:54 (UTC)

識者の方のご教示を待ったほうがいいのかもしれませんが、これには私も関心をもって少し調べたことがありますので、コメントを試みています。
重要な問題ですが、論の立て方がややちがうように感じました。日本法では発言者の立場でPDかどうかを判断するというようにはなっていないように理解しています。つまり発言の場や発表の形態によってPDかどうかが規定されていて、君主だからあるいは政治家だからというふうにはなっていないのではないでしょうか。
ですのでそれぞれについて、媒体や発表の場を調べて、それが著作権法でどのように規定されているかを考えるのがよいと思います。
まず「玉音放送」ですが、これは終戦の詔勅(「大東亞戰爭終結ノ詔書」)ですので、法令の一種であり、したがって以下の規定により、著作権法の保護を受けません。
  • 第十三条 次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。
    • 一 憲法その他の法令
なお、蛇足ですが、全文はすでにWikisourceに入っていますので、そう長いものではありませんが、一部の抜粋にとどめるのがよいかと思います。
二二六事件のときの発言というのはどういうものかによるかと思います。ただ、「思想の著作物」といえるのかどうかということが逆に問題になりえるかもしれません。著作性のないものは著作権を主張できないわけですので。。
国会での発言ですが、これもPDではないかと考えます、ですがそう考えないこともあるいは可能かもしれません(後述)。
第四十条 公開して行なわれた政治上の演説又は陳述及び裁判手続(行政庁の行なう審判その他裁判に準ずる手続を含む。第四十二条において同じ。)における公開の陳述は、同一の著作者のものを編集して利用する場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。
以前に別の項目に関係して話題になったことがあるのですが、これにより国会のたとえば本会議での発言は、PDになると理解しています。ただし「同一の著作者のものを編集して利用する場合」に該当するのかということがあるいは問題になるかもしれません。日本語版ウィキクォートでは、ご承知のように、JAWPのGFDL解釈を踏襲していますが、ここでは文書の単位を項目ごとにしており、サイト全体とは考えておりません。ですので厳密にいけばこの除外条項にあたる可能性はあります。ただしこれは「昭和天皇回顧録」のようなものを他者がつくるような場合を想定していると伺いましたので、サイト全体をひとつの文書ないし著作物として考えるような場合(履歴継承の問題があるとはいえ、私のもっている受け止め方はこちらに近いです)、あるいは問題にならないかもしれません。
ただ、これについては、発言者別ではっきりしたことをいってよいのかどうかわかりません。安全策をとるなら、Kanoさんがお始めになられた国会答弁のような他の人の発言もまざるような主題別項目で引証するのがよいのかもしれません。
判断のご参考になればさいわいです。また他の方のご教示を私も切にお待ちしています。よろしくお願いします。--Aphaia | WQ2翻訳中 | 会話 2005年7月2日 (土) 15:15 (UTC)

公式な方針への格上げ提案[編集]

「草案」として起草してずいぶん間がたっていますが、その後文面の改訂がなく、また大きな問題も指摘されないまま、実際の削除依頼の判断基準にこの文書が使われています。

そこで公式の方針として位置づけ、文書の性格を明確にすることを提案します。

なお合わせて、新規記事の作成画面から直接リンクし、投稿者の方に注意喚起することを提案します(かなりこれに該当する投稿がなされているので)--Aphaia (talk) 2008年5月1日 (木) 09:41 (UTC)

賛成です。文体が方針と云うよりガイドライン的なものではないかという気もしますが、拘束力を持つ内容ではありますので。 Kzhr 2008年5月2日 (金) 16:09 (UTC)
大分間があいてしまいましたが、{{Draft}}タグをとりました。新規記事の作成画面から直接リンクはまだです。公式方針用タグがないんですがまあそれはこのあとかんがえましょう。。--Aphaia (talk) 2010年2月14日 (日) 08:12 (UTC)