始皇帝
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始皇帝 (し こうてい、紀元前259年 - 210年) は秦の初代皇帝。姓は嬴(えい)、諱は政(せい)。
引用
[編集]- 天下はみな苦しみ戦闘が止まない。各地に封じられた侯王あってのことだ。宗廟によって、天下を初めて平定した。また再び各地に人を封じて国を立てれば、各々が封国で兵を集めるだろう。その上で天下の安寧を求めるのが、難しくないということがあろうか。
- 天下ともに苦しみ戦闘は
休 まず、もって侯王あり。宗廟に頼り、天下を初めて定む。また再び国を立つるに、是の兵を樹つ、しこうして其の寧息を求むるは、あに難からずや。-- 『史記』「始皇帝本紀」- 天下共苦戦闘不休、以有侯王。頼宗廟、天下初定、又復立国、是樹兵也、而求其寧息、豈不難哉。
- 始皇帝26年の記事。封建制を提案した群臣に対して、李斯の異議を取り、提案を退けた。
始皇帝についての引用
[編集]- 秦王は飽くことなく頑なな心を抱き、自ら勇み立って計略を行い、功績のあった重臣を信じず、士や民衆にも親しまず、古来からの王道を廃し、私の権利を立てて、さまざまな考えを表した書物を禁じ、刑法を厳しくした。詐術と暴力を先に立て、仁と義を後回しにし、暴虐をもって治世の元とした。--司馬遷『史記』「始皇帝本紀」
- 秦王懷貪鄙之心、行自奮之智、不信功臣、不親士民、廢王道、立私權、禁文書而酷刑法、先詐力而後仁義、以暴虐為天下始。
- ああ、立派な男というのはこうあるべきものだなあ。
- 嗟乎、大丈夫當如此也。--劉邦『史記』「高祖本紀」中国語版ウィキソース
- 若き日の劉邦が咸陽で始皇帝を見ていったという。