「正岡子規」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→短歌: +2 |
Marine-Blue (トーク | 投稿記録) →絶筆三句: 簡単な説明を入れておく |
||
20 行 | 20 行 | ||
=== 絶筆三句 === |
=== 絶筆三句 === |
||
死の半日ほど前、紙を貼りつけた画板を妹の律に用意させ、そこへしたためた辞世の句。これらの句にちなみ、子規の忌日を糸瓜忌と呼ぶ。 |
|||
*糸瓜咲て痰のつまりし佛かな |
*糸瓜咲て痰のつまりし佛かな |
||
*痰一斗糸瓜の水も間に合はず |
*痰一斗糸瓜の水も間に合はず |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
**これらの句にちなみ、子規の忌日を糸瓜忌と呼ぶ。 |
|||
== 短歌 == |
== 短歌 == |
2012年4月15日 (日) 08:30時点における版
正岡子規
日本の歌人、俳人、随筆家。俳句、短歌、小説、随筆など、多方面に渡り創作活動を行っている。
俳句
- 赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
- いくたびも雪の深さを尋ねけり
- 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
- 鶏頭の十四五本もありぬべし
- 夏嵐机上の白紙飛び尽(つく)す
- 若鮎の二手になりて上りけり
- 雪残る頂一つ国境
- 来年やあふき咲いても逢はれまじ
絶筆三句
死の半日ほど前、紙を貼りつけた画板を妹の律に用意させ、そこへしたためた辞世の句。これらの句にちなみ、子規の忌日を糸瓜忌と呼ぶ。
- 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
- 痰一斗糸瓜の水も間に合はず
- をとゝひのへちまの水も取らざりき
短歌
- いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
- 瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
- 瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀に春暮れんとす
- 冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ
評論
- 鉄幹是なら子規非なり、子規是ならば鉄幹非なり。
- 『墨汁一滴』
- 余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。
- 『病牀六尺』
写生論
- 実景を写しても最美なるはなほ得難けれど、第二流位の句は最も得やすし。
- 『俳諧大要』
- 理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上がらうとしてかへつて池の中に落ち込むやうなことが多い。写生は平坦である代りに、さる仕損ひはないのである。
- 『病牀六尺』
野球
- 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
- 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものもあらじ
- 打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
- 九つの人九つの場を占めてベースボールのはじまらんとす
- 国人ととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゆしも
- 今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな
- 明治31年の連作。ただし収録の順序は不明。
- 近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり。
- 第一高等学校と横浜在住米国人の試合は、日本で始めての対外交流試合であった。