源実朝
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みなもと の さねとも。源實朝。鎌倉幕府の第三代征夷大将軍、和歌を藤原定家に学んだ。私家集『金槐和歌集』。
源実朝からの引用
[編集]『金槐和歌集』
[編集]- あづまぢのせきもる神のたむけとて杉に矢たつる足柄の山
- 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
- おほ海の磯もとどろによする浪われてくだけてさけてちるかも
- 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ
- 物いはぬ四方(よも)のけだものすらだにも哀れなるかな親の子を思ふ
- 奥山の岩垣沼に木葉おちてしづめる心人知るらめや
- みわたせば雲居はるかに雪しろし富士の高嶺のあけぼのゝ空
小倉百人一首
[編集]- 世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも
その他
[編集]- ちはやふる伊豆のおやまの玉椿八百万世も色は変わらじ
- 瑞垣のおおしききょうよりゆうだすきかけし心は神ぞ知るらむ
- 伊豆の國や山の南に出る湯の早きは神の印なりけり
- いでていなば主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春をわするな
- 『吾妻鏡』。結果的にこれが実朝の辞世となった。