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藤原兼輔

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
中納言兼輔
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藤原兼輔(ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年) - 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。曾孫に紫式部がいる。官位は従三位中納言兼右衛門督に至り、また賀茂川堤に邸宅があったことから、堤中納言(つつみちゅうなごん)とよばれた。和歌・管弦に優れ、中古三十六歌仙の一人。三条右大臣こと藤原定方は従兄。

出典の確かなもの

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  • みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてかしかるらむ
    • 『新古今和歌集』。みかの原は甕原などと書く。京都府相楽郡。聖武天皇の時代に一時都が置かれた。いづみ川(泉川)は現在の木津川
  • よそにのみきかましものを音羽川わたるとなしに身なれそめけむ
    • 『古今和歌集』。

他の歌人との贈答歌

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  • 先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きてつかはしける  三条右大臣
    はかなくて世にふるよりは山科の宮の草木とならましものを
  • 返し
    山科の宮の草木と君ならば我はしづくにぬるばかりなり