紫式部

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
紫式部

紫式部 (むらさきしきぶ 天延元年(973年)頃? - 長和五年(1016年)頃?)は平安時代中期の文学者、歌人。一条天皇の中宮彰子に女房として仕えた。『源氏物語』、紫式部日記(『紫日記』)の作者とされる。漢学者、藤原為時の娘。大弐三位は娘。

紫式部からの引用[編集]

源氏物語』の項も参照。

和歌[編集]

  • めぐりあひて見しやそれともわかぬまにがくれにし夜半のかげ --『新古今和歌集』
    • 小倉百人一首では「夜半の月かな」とする。

『紫式部日記』[編集]

  • 和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才(ざえ)ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。歌はいとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことのうたよみざまにこそ侍らざめれ。口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り。それだに人の詠みたらん歌なん、ことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。恥づかしげの歌よみやとは覚え侍らず。
  • 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
  • 『源氏の物語』、御前にあるを、殿の御覧じて、例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる。
    「すきものと名にしたてれば見る人の
    折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」
    たまはせたれば、
    「人にまだ折られぬものをたれかこの
    すきものぞとは口ならしけむ
    めざましう。」
    と聞こゆ。
    • 『源氏物語』への最古の言及。殿は藤原道長を指す。


Wikipedia
Wikipedia
ウィキペディアにも紫式部の記事があります。