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高浜虚子

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
高浜虚子

高浜 虚子(たかはま きょし、明治7年(1874年) - 昭和34年(1959年))は、明治~昭和期の俳人、小説家。本名は高濱 清(たかはま きよし)。

作品

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五百句

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  • が吹く佛来給ふけはひあり    明治28年(1895年)
  • 遠山にの当りたる枯野かな    明治33年(1900年)
  • 子規逝くや十七日の月明に     明治35年(1902年)
  • 行水の女に惚れるかな      明治38年(1905年)
  • 一葉日当りながら落ちにけり   明治39年(1906年)
  • 春風や闘志いだきて丘に立つ    大正2年(1913年)
  • 木曽川の今こそ光れ渡り鳥     大正5年(1916年)

五百句時代

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  • 枯れて夕日にさはるものもなし  明治28年(1895年)
  • ゆるやかに帆船はひりぬの潮   昭和6年(1931年)
  • 叱られて泣きに這入るや雛の間   昭和7年(1932年)
  • 戻る子と行く母と逢ふ月見草    昭和8年(1933年)
  • 大空をただ見てをりぬ檻の    昭和9年(1934年)

五百五十句

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  • 箱庭の月日あり世の月日なし    昭和13年(1938年)
  • を夢の如くに見失ふ      昭和14年(1939年)
  • 手毬歌かなしきことをうつくしく  昭和14年(1939年)
  • 大寒の埃の如く人死ぬる      昭和15年(1940年)
  • 寒といふ字に金石の響あり     昭和15年(1940年)
  • 鎌倉に實朝忌あり美しき      昭和15年(1940年)

六百句

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  • 大根を水くしやくしやにして洗ふ  昭和16年(1941年)
  • 天地の間にほろと時雨かな     昭和17年(1942年)
  • 生きてゐるしるしに新茶おくるとか 昭和18年(1943年)
  • 蒼海の色尚存す目刺かな      昭和19年(1944年)
  • の我を嗅ぎ去る枯木中     昭和20年(1945年)

小諸百句

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  • 山国の蝶をあらしと思はずや    昭和20年(1945年)
  • 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ     昭和21年(1946年)
  • まつしぐら炉にとび込みし如くなり 昭和21年(1946年)

六百五十句

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  • 爛々と昼の星見え菌生え      昭和22年(1947年)
  • 海女とても陸こそよけれ桃の花   昭和23年(1948年)
  • 虚子一人銀河と共に西へ行く    昭和24年(1949年)
  • 人生は陳腐なるかな走馬灯     昭和24年(1949年)
  • 去年今年貫く棒の如きもの     昭和25年(1950年)

七百五十句

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  • ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に     昭和26年(1951年)
  • すぐ来いという子規の夢明易き   昭和29年(1954年)
  • 冬晴の虚子我ありと思ふのみ    昭和30年(1955年)
  • 蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 昭和31年(1956年)
  • 我生の美しき虹皆消えぬ      昭和32年(1957年)
  • 門を出る人春光の包み去る     昭和33年(1958年)
  • 春の山屍をうめて空しかり     昭和34年(1959年)

外部リンク

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Wikipedia
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ウィキペディアにも高浜虚子の記事があります。