二条院讃岐
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二条院讃岐(にじょういんのさぬき、生没年未詳)は日本の歌人、女房。12世紀末から13世紀初めに活躍した。女房三十六歌仙の一。源頼政女。はじめ二条天皇に仕えたため、この名がある。
引用
[編集]- わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそしらねかわく間ぞなき
- 『千載和歌集』所収。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。『小倉百人一首』では第五句を「かわく間もなき」とする。
- この歌により「沖の石の讃岐」と喧伝された。
- 五月雨の雲まの月のはれゆくをしばし待ちける時鳥かな
- 『新古今和歌集』所収。
- なく蝉の声もすずしき夕暮に秋をかけたる森の下露
- 『新古今和歌集』所収。
- 身のうさを月やあらぬとながむれば昔ながらの影ぞもりくる
- 『新古今和歌集』所収。
二条院讃岐に関する引用
[編集]- 金吾の口伝のうちに、女房の故実に、兼日の懐紙なき時は、後白河院の仁安御歌合当座にて侍りけるに、讃岐参たりけるに、扇をさし出して題をたまはりけるとかや。まことにある中にきはもたちて、いみじく見えたりけるとなん申侍り。--藤原定家 『愚秘抄』