利用者・トーク:Ko-ken~jawikiquote

出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』
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はじめまして、Aphaiaと申します。ウィキクォートへようこそ

ウィキクォートで役に立つリンクをご紹介します。

ウィキクォートで執筆の際には中立的な観点および 著作権にご留意ください。ウィキクォートでは現在は著作権上の問題を回避するために、基本的に著作からの引用はパブリックドメインの著作からにだけ限る方針を採っています。

何か疑問点がありましたら井戸端のほか私の会話ページでご質問ください。まだプロジェクトが始まったばかりで、決まっていないことが多く、明快にお返事できないこともあるかもしれませんが^^;

井戸端は他のユーザと交流したいときにも使えます。お気軽に提案をお寄せください。他のユーザとのリアルタイムでのコミュニケーションをIRCのチャンネル#ja.wikiquoteでとることができることがあります(人数はあまり多くはありません)。

Ko-kenさんがウィキクォートで実り多い活動をされることを楽しみにしております。 --Aphaia (talk) 2006年7月3日 (月) 01:50 (UTC)

新しいページを作る[編集]

いただいたご質問は井戸端へ移動の上、お返事申し上げました。 Ko-ken さんのご投稿は毎回楽しみに呼んでおります。今後ともよろしくお願いいたします。--Aphaia (talk) 2006年7月4日 (火) 23:26 (UTC)

有り難うございました。お手数をおかけして申し訳ございません。私の場合、「述べて作らず」ですので。今後とも、何卒よろしくお願い致します。 Ko-ken 2006年7月5日 (水) 03:33 (UTC)

引用のこと[編集]

  • Wikiquote:引用とは何かを読んでいました。それは、『そうした言葉に触れることで、人間は生きる世界の深みを言葉によって味わい、世界をより深く理解することが出来るのです。ウィキクォートでは、それぞれの参加者がそうした生きた言葉と出会う場所を提供していきたいと思います。』という言葉で結ばれていました。「生きた言葉と出会う」という言葉は、良い言葉だと思いました。一方で、原典に当たることの重要性についても触れられていました。このことも、大切なことだと思いました。ただ、ここは、テキスト・クリティーク訓詁学のための場ではない訳ですから、通行テキストが対照として提示されていれば、それで良いように思われます。広く、多くの人に対して、上に引用したような、Wikiquoteならではの出会いの「場所を提供してい」くためには、細かな字句の異同を記すことは、却って差し障りとなる場合も想定されねばならないと感じました。ここは、各国語の原典やそれを対象とする研究者のための「場所」ではないのですから、ケース・バイ・ケースで、原典の提示の仕方も変わってくるものと思われます。些か、感じた所を書かせて頂きました。 Ko-ken 2006年7月14日 (金) 13:34 (UTC)
ご自分の会話ページにかきとめておられることに反応するのは野暮かもしれませんが、共感するものがありましたので、あえて :)
原典の意味が大幅にかわるような異同、とくに二通りの異読が両方それなりの重みを持って通行している場合などは明記が必要とおもうのですが、異読すべてを収録するというのは不可能だしそれはここでする仕事ではないように私も思っています。ただ、こうしたことはある程度読み手も書き手も増えてきた段階でおのずと方向性が出てくるようにおもってもおります。必要なのは、それなりに信頼のおける校訂版を典拠とすること、また何を典拠としているのかをはっきりとすることだろうと個人的には考えています。こうしたこともおいおいみなで考えていければよいなあと思っています。
今後ともよろしくお願いします。--Aphaia (talk) 2006年7月15日 (土) 23:26 (UTC)
Aphaia様、いつもお世話になっております。この件、ひとつには、以前よりのいきさつもあったりで、このWikiquote内の、この事柄だけが起因でもなかった点と、ここでは、色んな箴言を引っ張り出して、改めて私自身が、それらの重みや持っているリズムなどを味あわせて頂き、私自身が一番目の読者でありたい、と思っていることもありまして、敢えて「井に入る」(端だから入る訳ではないですね(苦笑))のをためらってしまいました。ごめんなさい。先にも書いたように、「述べて作らず」という点と、それから儒教も仏教も何もかもごちゃ混ぜで引用してますが、個人的には「無為」のスタンスがいいな、などと思っている点も、正直申せばございます。不真面目なようで、ごめんなさい。話は脱線しますが、今、ベストセラーの著者になられた藤原先生の本を読んでるのです。ただへそ曲がりゆえ、その大著は、ほとぼりが冷めた頃にとってあって、他のエッセイです。お父さんの小説は、若い頃に好きでしたが、文章だけなら、藤原先生の方が面白いのかも、などと思いながら読んでます。それはさて置き、読んでないのですが、大著では「惻隠の心」を強調されているという噂を耳にしたもので、孟子を出してみました。ただ、その時、有名な一節、なぜか「嫌な予感」のようなものがあって、書かなかったのです。でも、こんなに早く書くことになろうとは、残念です。またまた、長くなって、ごめんなさい。異同の件も、もっと件数が増えた時点で、漢文の場合のスタイルマニュアルを考える機会が持てるのならば、今は、色々なものがごった煮状態でも、いいのかなと思ってます。最初の文は、ひとり言と思っていただければ、幸いです。私は、儒教倫理というのが苦手であったのですが、最近、なぜか、気になるのです。なぜか、ではなく、恐らくは必然なのでしょうね。原因となるものがあって、結果がある。お釈迦様の言葉ですね。とか考えてると、やっぱり、私は書き手よりも読み手の方がいいな、などと思えて来ます。とりとめもなく、ごめんなさい。 Ko-ken 2006年7月16日 (日) 13:07 (UTC)

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