藤原基俊
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藤原基俊(ふじわら の もととし、1060年- 1142年)は、平安時代後期の日本の公家・歌人。父は右大臣藤原俊家。藤原氏の主流である藤原北家の出身で藤原道長の曾孫にあるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。
歌壇への登場も遅かったが、源俊頼とともに院政期の歌壇の指導者として活躍した。革新的な作風であった俊頼に対し、基俊は古い歌風を重んじた。基俊はまた万葉集に訓点を加えている。晩年には藤原俊成を弟子に迎えた。漢詩文にも通じ「新撰朗詠集」を撰集している。
引用
[編集]- 夏の夜の月待つほどの手すさみに岩もる清水いくむすびしつ
- 『金葉和歌集』収録。
- あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて妹恋しらに見つる月かな
- 『千載和歌集』収録。
- 唐国にしづみし人も我がごとく三代まであはぬ歎きをぞせし
- 『千載和歌集』収録。
- 唐国にしづみし人は唐の顔駟を指す。
- 契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり
- 『千載和歌集』『小倉百人一首』収録。
- 詞書「律師光覚維摩会の講師の請を申しけるを、たびたび洩れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢの原のと侍りけれども、又その年も洩れにければ、よみてつかはしける」。光覚は基俊の息子。「しめぢの原の」は清水観音の歌と伝わる「なほ頼めしめぢが原のさせも草我が世の中にあらむかぎりは」を引歌として任せておけという意を返事したもの。
- 秋はつる枯野の虫の声たえばありやなしやを人のとへかし
- 『千載和歌集』収録。
- 秋風のややはださむく吹くなへに荻のうは葉の音ぞかなしき
- 『新古今和歌集』収録。
- 高円の野ぢの篠原すゑさわぎそそや木枯けふ吹きぬなり
- 『新古今和歌集』収録。
- かきたむる
古 今 の言の葉をのこさず君につたへつるかな- 『風雅和歌集』収録。藤原俊成が基俊から借りた古今集を返すときに添えた歌への返歌。