「船」の版間の差分

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[[w:船|船]]に関する引用句、諺。
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== 引用句 ==
== 引用句 ==
*熟田津に[[]]乗りせむと[[月]]待てば [[海|潮]]もかなひぬ今は漕ぎ出でな-[[額田王]]
*熟田津に船乗りせむと[[月]]待てば[[海|潮]]もかなひぬ今は漕ぎ出でな-[[額田王]]
:熱田津爾船乘世武登月待者 潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 --『萬葉集』巻の一
:熱田津爾船乘世武登月待者 潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 --『萬葉集』巻の一
::熟田津は現在の道後温泉。当時は海港であった。
::熟田津は現在の道後温泉。当時は海港であった。


*[[天]]の海に[[雲]]の波立ち月の船 [[星]]の林に漕ぎ隠る見ゆ
*[[天]]の海に[[雲]]の波立ち月の船[[星]]の林に漕ぎ隠る見ゆ
*:天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見-- [[柿本人麻呂]]『[[万葉集]]』
*:天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見-- [[柿本人麻呂]]『[[万葉集]]』


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***長崎医専教授として赴任した[[長崎]]の印象。『あらたま』の巻末歌。
***長崎医専教授として赴任した[[長崎]]の印象。『あらたま』の巻末歌。


*高砂や 此(この)浦舟に帆をあげて 此浦舟に帆をあげて [[月]]もろともに出でしほの 波の淡路の島陰(かげ) 遠く鳴尾の沖すぎて はや [[住江|住の江]]に着きにけり。はや住の江に着きにけり。-[[世阿弥]]
*高砂や 此浦舟に帆をあげて[[月]]もろともに出でしほの波の淡路の島陰や遠く鳴尾の沖すぎてはや [[住江|住の江]]に着きにけり。はや住の江に着きにけり。-[[世阿弥]]高砂』
*:『高砂』


*おもしろうてやがて悲しき[[鵜]]舟かな -[[松尾芭蕉]]
*おもしろうてやがて悲しき[[鵜]]舟かな -[[松尾芭蕉]]『曠野』
*:『曠野』


*細草微風の岸 危檣独夜の[[舟]]<br>[[星]]垂れて平野闊く [[月]]湧きて[[川|大江]]流る --[[杜甫]]『旅夜に懐を書す』
*細草微風の岸 危檣独夜の[[舟]]<br>[[星]]垂れて平野闊く [[月]]湧きて[[川|大江]]流る --[[杜甫]]『旅夜に懐を書す』
*:細草微風岸 危檣独夜舟<br>星垂平野闊 月湧大江流 『旅夜書懐』
*:細草微風岸 危檣独夜舟<br>星垂平野闊 月湧大江流 『旅夜書懐』

== 諺 ==
== 諺 ==
*船頭多くして船山に登る-[[日本の諺]]
*船頭多くして船山に登る-[[日本の諺]]

2005年7月11日 (月) 12:47時点における版

に関する引用句、諺。

引用句

  • 熟田津に船乗りせむと待てばもかなひぬ今は漕ぎ出でな-額田王
熱田津爾船乘世武登月待者 潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 --『萬葉集』巻の一
熟田津は現在の道後温泉。当時は海港であった。
  • 朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝(な)みよろふ山 -斎藤茂吉
    『あらたま』
      • 長崎医専教授として赴任した長崎の印象。『あらたま』の巻末歌。
  • 高砂や。 此浦舟に帆をあげて。もろともに出でしほの。波の淡路の島陰や。遠く鳴尾の沖すぎて。はや 住の江に着きにけり。はや住の江に着きにけり。-世阿弥高砂』
  • 細草微風の岸 危檣独夜の
    垂れて平野闊く 湧きて大江流る --杜甫『旅夜に懐を書す』
    細草微風岸 危檣独夜舟
    星垂平野闊 月湧大江流 『旅夜書懐』