松尾芭蕉

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森川許六『奥の細道行脚之図』に描かれた松尾芭蕉(左)と曽良(右)。
松尾芭蕉(左)と曽良(右)。森川許六『奥の細道行脚之図』による。

松尾芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年(1694年))は江戸時代の俳人。自筆署名では「はせを」と表記する。別号に桃青風羅坊。俳聖と称される。

引用[編集]

おくのほそ道[編集]

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  • 月日は百代の過客にして行きかふひともまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
    草の戸も住み替はる代(よ)ぞひなの家
    面八句を庵の柱に懸置。
    • 冒頭の辞。
  • 松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
  • 曾良は腹を病て、伊勢の國長嶋と云所にゆかりあれば、先立て行に、
    行き行きてたふれ伏ともの原  曾良
    と書置たり。行ものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鳧のわかれてにまよふがごとし。予も又、
    今日よりや書付消さん笠の
  • 長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、
    のふたみにわかれ行秋ぞ

発句[編集]

  • あかあかと日はつれなくも秋の風
  • 荒海や佐渡によこたふ天河
  • あらたふと青葉若葉の日の光
  • 石山の石より白し秋の風
  • 一家に遊女も寢たり萩と
  • の峰幾つ崩ての山
  • 五月雨をあつめて早し最上川(もがみがは)
  • 象潟や雨に西施がねぶの花
  • 草の戸も住み替わる代ぞ雛の家
  • 五月雨の降り残してや光堂
  • 山中やはたおらぬ湯の匂
  • 閑さやにしみ入の聲
  • 啄木も庵はやぶらず夏木立
  • 一枚植て立去るかな
  • 塚も動け我泣声は秋の風
  • 夏草や兵(つはもの)どもがのあと
  • 蚤しらみ馬の尿する枕元
  • むざんやな甲の下のきりぎりす
  • 行く春や鳥啼き(なき)魚の目は泪
  • わせの香や分入右は有磯海

『笈日記』[編集]

  • 秋深き隣は何をする人ぞ
  • の香や奈良には古きたち
  • に病んでは枯野をかけ廻る
辞世の句

『野ざらし紀行』[編集]

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  • 草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたに出て、
明ぼの白魚白きこと一寸
  • 海暮れての声ほのかに白し
  • 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
  • 野ざらしを心に風のしむ身かな
  • 道のべの木槿に食はれけり
  • 奈良に出(いづ)る道のほど
春なれや名もなき山の薄霞
  • 水取りや氷の僧の沓の音
  • 大津に至る道、山路を越えて
山路来て何やらゆかしすみれ
  • 初案は「何とはなしに何やら床し菫草」。三月二十七日、熱田白鳥山法持寺参詣の折、芭蕉、叩端、桐葉を連衆とする三吟歌仙の発句。これを改案して、逢坂山超えの句とした。
  • 辛崎の松は花より朧にて
  • 手に取らば消えん涙ぞ熱き秋の霜
  • 山路来て何やらゆかしすみれ草

『笈の小文』[編集]

  • 百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすもののかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。
  • 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休における、其貫道する物は一なり。
  • 風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
  • そもそも道の日記といふものは、紀氏長明阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降昼より晴て、そこに松あり、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なかれ。
    • 長明への言及は当時鴨長明作と信じられた『海道記』を念頭におく。黄奇蘇新は、黄山谷の詩の奇抜さ、蘇東坡の詩の斬新さの意。
  • かかるところの秋なりけりとかや、此浦の実は秋を宗とするなるべし。悲しさ淋しさいはんかたなく、秋なりせばいささか心のはしをも、云出べきものをとおもふぞ、我心匠の拙きをしらぬに似たり。淡路島手にとるやうに見えて、須磨明石の海右左にわかる。呉楚東南のながめも斯る処にや。物しれる人の見侍らば、さまざまのさかひにも思ひなぞらふるべし。又うしろの方に山を隔てて、田井の畑と云処、松風村雨のふるさとといへり。尾上つづき丹波路へかよふ道あり。鉢伏のぞき、逆落など、おそろしき名のみ残て、鐘掛松より見下に、一の谷内裏やしき目の下に見ゆ。其代のみだれ、其時のさわぎ、さながら心にうかび、俤につどひて、二位の尼君皇子をいだきたてまつり、女院の御裳に御足もたれ、船屋形にまろび入らせ給ふみありさま、内侍局女嬬曹子のたぐひ、さまざまの御調度もてあつかひ、琵琶琴なんどしとね蒲団にくるみて、船中になげ入、供御はこぼれてうろくづの餌となり、櫛笥はみだれて、海士の捨草となりつつ、千歳のかなしび、此浦にとどまり、素波の音にさへ愁おほく侍るぞや。
    結語。須磨浦での記。「かかるところの秋」は源氏物語「須磨」巻よりの引用。松風村雨は中世伝承、能曲『松風』の元となった。後半は『平家物語』を念頭におくか。

発句・連句[編集]

  • 旅人と我名よばれん初しぐれ
    また山茶花を宿やどにして
  • 鷹一つ見付てうれしいらこ崎とり
  • 若葉して御めの雫ぬぐはゞや
  • 蛸壺やはかなき夢を夏の月

『猿蓑』[編集]

  • 憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
  • 若菜丸子の宿のとろろ汁
  • 蛸壺やはかなき夢を夏の月
  • 初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり
  • 行く春を近江の人と惜しみける
  • 病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

『続虚栗』[編集]

  • 花の雲鐘は上野浅草
  • 旅人と我が名呼ばれん初時雨
  • よく見れば薺花咲く垣根かな

『曠野』[編集]

  • のしきりに恋し雉子の声
  • おもしろうてやがて悲しき舟かな

その他[編集]

  • が香にのつとの出る山路かな
    『炭俵』より
  • 古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。
    『許六離別詞』より
  • の歯ぐきも寒し魚の店
    『薦獅子』より
  • 静にみれば物皆自得す
    『蓑蟲説跋』より
    中国の言葉「萬物靜觀皆自得」からの引用
  • 鷹一つ見付けてうれし伊良湖崎。
  • 奈良七重七道伽藍八重桜
    『泊船集』より
  • 芭蕉野分して盥にを聞くかな
    『武蔵曲』より
  • 古池や飛込む水の
    『春の日』より
  • 名月や池をめぐりて夜もすがら
    『孤松』より
  • 物いへば唇さむし秋の風
    『芭蕉庵小文庫』より
  • 數ならぬ身となおもひそ玉祭り
    『有磯海』より
  • 予が風雅は夏炉冬扇のごとし。
    『柴門辞』より
  • みのむしの音をききにこよ草の庵

帰せられるもの[編集]

  • いらご崎似るものもなしの声
  • ほろほろと山吹散るかの音

芭蕉に過って帰せられるもの[編集]

  • 松島や ああ松島や 松島や
    しばしば芭蕉のものとされるが、芭蕉は「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」と松島では句を残さず、これは江戸時代後期の狂歌師、田原坊の作とされる。

外部サイト[編集]