西行

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西行(1118〜1190)は日本の歌人。

出典の明らかなもの[編集]

『新古今和歌集』[編集]

  • よしの山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたのをたづねん
  • 道のべの清水ながるる蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ
  • 心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ澤の夕暮
    寂蓮の「さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮」藤原定家の「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」と合わせて「三夕の歌(さんせきのうた)」と言われている。
  • 年たけてまたこゆべしと思ひきやなりけり小夜の中山
  • 世中を厭ふまでこそ難からめ仮のやどりを惜む君かな
  • 津の国の難波の春はゆめなれや葦のかれ葉の風わたるなり
  • さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
  • 嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな
  • 鈴鹿山うき世をよそにふりすてていかになりゆく我が身なるらむ

『山家集』[編集]

  • 君が住む宿のつぼをば菊ぞかざる仙(ひじり)のみやといふべかるらむ
    出家前、佐藤義清時代の歌。鳥羽院の庭を詠んだことが詞書より知られる。
  • 春風の花を散らすと見るはさめても胸のさわぐなりけり
  • 仏には桜の花を奉れ我後の世を人弔はば
  • 願はくは花の下にて死なむそのきさらぎの望月の頃

『西行法師家集』[編集]

  • あはれいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野の原
  • 風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬ我思かな
  • 吉野山桜が枝に雪散りて花おそげなる年にもあるかな

『詞花和歌集』[編集]

  • 身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ
    『詞花和歌集』ではよみ人知らずとして入集。『西行法師家集』に初句「世をすつる」として入集し、古来より西行の歌として受容される。西行の歌では勅撰集に初めて入集した。

西行に関する引用[編集]

  • 西行は……生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。--後鳥羽院『後鳥羽院御口伝』
  • 釈阿・西行などが最上の秀歌は、詞も優にやさしきうへ、心ことにふかくいはれもある故に、人の口にある歌勝計(しょうけい)すべからず。--後鳥羽院『後鳥羽院御口伝』
    • 勝計(しょうけい、あげてかぞふ)とは数の多いこと。あまり優れている歌は、かえって広くは広まらないと後鳥羽院は論じる。釈阿は藤原俊成。 
  • 過ぬる長月の廿日あまりのころ、江口と云所をすぎ侍りしに、家は南北の岸にさしはさみ、こころは旅人の往来の舟をおもふ遊女のありさま、いと哀にはかなき物かなと、見たてリしほどに、冬を待えぬむらしぐれのさら(まま)暮し侍りしかば、けしかる賤がふせ屋にたちより、はれま待つまの宿をかり侍しに、あるじの遊女ゆるす景色の侍らざりしかば、なにとなく、
世中を厭ふまでこそ難からめ仮のやどりを惜む君かな
と詠みて侍しかば、あるじの遊女、うちわびて、
家をいづる人とし見れば仮のやどに心とむなと思ふばかりぞ
とかへして、いそぎ内にいれ侍りき、ただ、しぐれのほどしばしの宿とせんとこそ思ひ侍りしに、此歌のおもしろさに、一夜のふしどとし侍りき。--作者不詳『西行撰集抄』
  • 江戸時代には西行の筆と信じられたが、現在は否定される。謡曲『江口』はこれを本説とする。