後鳥羽天皇
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後鳥羽天皇(ごとばてんのう、1180年 - 1239年)は、平安末期から鎌倉初期にかけて在位した第82代の天皇。諱は尊成親王。明治以前には後鳥羽院(ごとば-(の)-いん)を称号とする。
高倉天皇の第4皇子で、平家没落の後に、都落ちした安徳天皇に代わり後白河法皇の院宣により即位した。歌道他諸学に通じ、同時代の文化の中心となった。建久9年(1198年)1月11日、土御門天皇に譲位し、以後、土御門、順徳、仲恭と承久三年(1221年)まで、3代23年間に渡り上皇として院政を引くも、承久の乱に敗れ、隠岐に流罪。同所で没した。
歌人としては、和歌所を再興、『新古今和歌集』撰進の勅を下し、また自らも実質的に関与した。
引用
[編集]和歌
[編集]- 見わたせば山もとかすむ水瀬川夕べは秋となにおもひけむ
- 思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に
- 『新古今和歌集』巻八。
- 新井白石の『折たく柴の記』はこの歌に由来する。
- 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は
- 『続後撰集』。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。
- われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波かぜ心してふけ
- 『後鳥羽院御百首』 隠岐配流の後の歌。『増鏡』にも引用される。
散文
[編集]- 西行は……生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。--『後鳥羽院御口伝』
- 寂蓮は、なほざりならず歌詠みしものなり。 --『後鳥羽院御口伝』
- 定家はさうなきものなり。--『後鳥羽院御口伝』
- 釈阿・西行などが最上の秀歌は、詞も優にやさしきうへ、心ことにふかくいはれもある故に、人の口にある歌勝計(しょうけい)すべからず。--『後鳥羽院御口伝』
- 勝計(しょうけい、あげてかぞふ)とは数の多いこと。あまり優れている歌は、かえって広くは広まらないと後鳥羽院は論じる。
後鳥羽天皇に関する引用
[編集]- 同じ世の別れはなほぞしのばるる空行く月のよそのかたみに --順徳天皇
- 『新拾遺和歌集』収録。詞書「後鳥羽院かくれさせ給うて、御なげきの比、月を御覧じて」。順徳天皇は後鳥羽院の皇子、承久の乱の後、佐賀に配流された。