時鳥
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(ホトトギスから転送)
ホトトギスに関する引用。霍公、霍公鳥、郭公、不如帰、子規、蜀魂、杜鵑、杜宇、田鵑とも書く。
出典の確かなもの
[編集]万葉集
[編集]- いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく --弓削皇子
- 古に恋ふらむ鳥は霍公けだしや鳴きし吾が思へる如 --額田王
- 万葉集巻二、111、112。詞書には「吉野の宮に幸す時」とあり、持統天皇の行幸に持した折のものか。
- 我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時 --大伴書持
- 万葉集巻八、1481。
中古
[編集]『古今和歌集』
[編集]巻三・夏
[編集]- 135) 我が宿の池の藤波咲きにけり山郭公いつか来鳴かむ
- 137) 五月待つ山郭公うちはぶき今も鳴かなむ去年のふる声
- 138) 五月こば鳴きもふりなむ郭公まだしきほどの声を聞かばや
- 140) いつの間に五月来ぬらむあしひきの山郭公今ぞ鳴くなる
- 141) 今朝き鳴きいまだ旅なる郭公花橘に宿はからなむ
- 142) 音羽山今朝越えくれば郭公梢はるかに今ぞ鳴くなる
- 143) 郭公初声聞けばあぢきなく主さだまらぬ恋せらるはた
- 144) いそのかみふるきみやこの郭公声ばかりこそ昔なりけれ
- 145) 夏山に鳴く郭公心あらば物思ふ我に声な聞かせそ
- 146) 郭公鳴く声聞けば別れにしふるさとさへぞ恋しかりける
- 147) 郭公なが鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから
- 148) 思ひいづるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞ鳴く
- 149) 声はして涙は見えぬ郭公我が衣手のひつをからなむ
- 150) あしひきの山郭公をりはへて誰かまさると音をのみぞ鳴く
- 151) 今さらに山へかへるな郭公声のかぎりは我が宿に鳴け
- 152) やよやまて山郭公ことづてむ我れ世の中に住みわびぬとよ
- 153) 五月雨に物思ひをれば郭公夜深く鳴きていづち行くらむ
- 154) 夜や暗き道や惑へる郭公我が宿をしもすぎがてに鳴く
- 155) 宿りせし花橘も枯れなくになど郭公声絶えぬらむ
- 156) 夏の夜のふすかとすれば郭公鳴くひと声に明くるしののめ
- 157) くるるかと見れば明けぬる夏の夜をあかずとや鳴く山郭公
- 158) 夏山に恋しき人や入りにけむ声ふりたてて鳴く郭公
- 159) 去年の夏鳴きふるしてし郭公それかあらぬか声のかはらぬ
- 160) 五月雨の空もとどろに郭公何を憂しとか夜ただ鳴くらむ
- 161) 郭公声も聞こえず山彦はほかになく音を答へやはせぬ
- 162) 郭公人まつ山に鳴くなれば我うちつけに恋ひまさりけり
- 163) 昔べや今も恋しき郭公ふるさとにしも鳴きてきつらむ
- 164) 郭公我とはなしに卯の花のうき世の中に鳴き渡るらむ
巻十一 恋一
[編集]中古の他の作品
[編集]- 郭公は、なほ更にいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞え、歌に、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるもねたげなる心ばへなり。五月雨の短か夜に寝ざめをして、いかで人よりさきに聞かむとまたれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうしう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。--清少納言三巻本系『枕草子』
- 「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、われは田植うれ」--清少納言『枕草子』「賀茂へまゐる道に」
- 作者が賀茂参詣の折に書きとめた田植歌。
近世
[編集]- 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公 大權現様
このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、固より仮托のことなれば、作家を記せず。
なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす
なかぬなら貰て置けよほとゝぎす
-- 靜山松浦清『甲子夜話』巻五十三〔八〕(松浦静山著、中村幸彦 中野三敏 校訂『甲子夜話』4、東洋文庫 333、平凡社 、昭和53年)
- 古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、信長、秀吉、恐れながら神君御參會の時、卯月のころ、いまだ郭公を聞かずとの物語いでけるに、信長、
鳴かずんば殺してしまへ時鳥
とありしに、秀吉、
なかずともなかせて聞かう時鳥
とありしに、
なかぬならなく時聞かう時鳥
とあそばされしは神君の由。自然とその御德化の温順なる、又殘忍、廣量なる所、その自然をあらはしたるが、紹巴もその席にありて、
なかぬなら鳴かぬのもよし郭公
と吟じけるとや。
-- 根岸鎮衛『耳袋』巻の八
近代
[編集]その他
[編集]帰せられるもの
[編集]- 郭公は「ほととぎす」、松魚は「かつを」と訓する。